新選組の隊士一覧とは?組織と主要メンバーを解説

新選組は、幕末の京都で治安維持を担った武装集団です。ここでは組織の構成と主要な隊士を一覧で整理します。
目次
新選組の隊士と組織構成
新選組は、局長を頂点とする明確な階層を持っていました。以下は慶応元年(1865 年)頃の代表的な編成です。 結成初期には局長が複数いるなど別の形を取っており、階層は全期間で同一ではありません。
| 役職 | 役割 |
|---|---|
| 局長 | 隊の頂点。近藤勇 |
| 副長 | 実務と規律を統括。土方歳三 |
| 参謀 | 政治的な助言。伊東甲子太郎 |
| 副長助勤/組長 | 各隊を率いる。一番隊から十番隊まで |
| 監察 | 隊内外の情報収集と探索 |
| 勘定方 | 会計を担当 |
隊士の数は時期によって変動し、最も多い時期で200名を超えたとされます。池田屋事件で名を上げたのち、募集によって急拡大しました。
幹部の一覧
| 人物 | 役職 | 最期 |
|---|---|---|
| 近藤勇 | 局長 | 1868年、板橋で斬首。満33歳 |
| 土方歳三 | 副長 | 1869年、箱館で戦死。満34歳 |
| 芹沢鴨 | 初期の筆頭局長 | 1863年、隊内で粛清 |
| 新見錦 | 初期の局長格(副長とする史料も) | 1863年、切腹させられる |
| 平山五郎 | 副長助勤(水戸派) | 1863年、芹沢とともに斬殺 |
| 平間重助 | 副長助勤・勘定役(水戸派) | 襲撃の夜に逃走。以後消息不明 |
| 野口健司 | 副長助勤(水戸派) | 1864年、切腹。享年21 |
| 佐伯又三郎 | 副長助勤 | 1863年、島原で殺害される |
| 安藤早太郎 | 副長助勤 | 1864年、池田屋の傷がもとで死去 |
| 大野右仲 | 箱館新選組局長 | 明治44年まで生き、土方の最期を記録 |
| 山南敬助 | 総長 | 1865年、脱走して切腹 |
| 伊東甲子太郎 | 参謀 | 1867年、離脱後に暗殺される |
| 相馬主計 | 最後の隊長 | 1869年、箱館で降伏の書状に署名 |
組長(副長助勤)の一覧
| 隊 | 組長 | 備考 |
|---|---|---|
| 一番隊 | 沖田総司 | 剣の達人として名高い。病により1868年に死去 |
| 二番隊 | 永倉新八 | 維新後まで生き延び、回想録を残した |
| 三番隊 | 斎藤一 | 会津まで戦い、維新後は警察官として生きた |
| 四番隊 | 松原忠司 | 柔術師範。「今弁慶」と呼ばれた。1865年に死去 |
| 五番隊 | 武田観柳斎 | 1867年、隊を離れて粛清される |
| 六番隊 | 井上源三郎 | 多摩以来の同志。鳥羽伏見の戦いで戦死 |
| 七番隊 | 谷三十郎 | 1866年、祇園社で「頓死」。死因は不明 |
| 八番隊 | 藤堂平助 | 伊東甲子太郎に従い離脱、油小路で斬られる |
| 九番隊 | 鈴木三樹三郎 | 伊東甲子太郎の実弟。離脱後も生き延びた |
| 十番隊 | 原田左之助 | 上野戦争で負傷し死去したとされる |
監察・勘定方などの一覧
組長のほかに、隊を実務で動かした役目があります。
| 人物 | 役職 | 備考 |
|---|---|---|
| 山崎烝 | 諸士調役兼監察 | 探索を担った。生年も最期も不確定 |
| 島田魁 | 監察・二番組伍長 | 箱館まで戦い、明治33年まで生きて記録を残した |
| 尾形俊太郎 | 監察・文学師範 | 会津まで残った副長助勤。消息は2013年に判明 |
| 服部武雄 | 監察・撃剣師範 | 二刀流の達人。油小路で一人戦って斃れる |
| 篠原泰之進 | 監察・柔術師範 | 離脱後、近藤勇襲撃に加わる。明治44年まで生きた |
| 大石鍬次郎 | 諸士調役兼監察 | 伊東甲子太郎を暗殺。1870年に斬首 |
| 河合耆三郎 | 勘定方 | 隊費の経理を担当。1866年に切腹させられる |
| 毛内有之助 | 監察・文学師範 | 「百人芸」。油小路で斬殺される |
| 吉村貫一郎 | 監察・撃剣師範 | 『壬生義士伝』の原型。鳥羽・伏見で戦死 |
| 尾関雅次郎 | 調役兼監察・旗役 | 行軍の先頭を担い、箱館まで戦った |
| 中島登 | 伍長 | 『戦友絵姿』に隊士の顔を描き残した |
| 近藤芳助 | 伍長 | 隊士であることを隠して生き延び、弁護士になった |
| 葛山武八郎 | 伍長 | 近藤勇を告発する建白書に連署し、切腹 |
| 横倉甚五郎 | 隊士 | 龍馬・伊東暗殺の嫌疑で1870年に獄死 |
| 野村利三郎 | 隊士 | 近藤の嘆願で助命。宮古湾海戦で戦死 |
| 池田七三郎 | 隊士 | 昭和13年まで生きた最後の隊士 |
| 松本捨助 | 八番組隊士 | 長男ゆえに断られ続け、4年後に入隊 |
| 谷万太郎 | 隊士(大坂屯所の長) | 谷三十郎の弟。ぜんざい屋事件で働く |
| 谷周平 | 隊士 | 近藤勇の養子。兄の死後に縁組を解消 |
御陵衛士(高台寺党)へ分かれた隊士
慶応3年(1867年)3月、参謀伊東甲子太郎に従って隊を離れた一団です。孝明天皇陵の警備を名目としましたが、実態は勤王派としての独立でした。
| 人物 | 新選組での役職 | その後 |
|---|---|---|
| 伊東甲子太郎 | 参謀 | 1867年、油小路で謀殺される |
| 鈴木三樹三郎 | 九番隊組長 | 伊東の実弟。官軍側で戦い、1919年まで生きた |
| 藤堂平助 | 八番隊組長 | 油小路で討たれる |
| 服部武雄 | 監察・撃剣師範 | 油小路で一人戦い、満身二十余創で斃れる |
| 毛内有之助 | 監察・文学師範 | 油小路で斬殺される |
| 篠原泰之進 | 監察・柔術師範 | 近藤襲撃に加わる。1911年まで生きた |
| 加納鷲雄 | 伍長 | 流山で近藤の正体を見抜き、捕縛につなげた |
| 富山弥兵衛 | 伍長 | 薩摩出身。1868年、越後で殺害される |
| 阿部十郎 | 伍長・砲術師範 | 近藤襲撃に加わる。史談会で証言を残した |
なお佐野七五三之助は密命で隊に残り、幕臣取立に反対して会津藩邸内で切腹しました。
結成期に消えた取りまとめ役
幕府の信用で壬生浪士の筆頭格となりながら、二か月で二人とも消えています。
生き延びた新選組の隊士
新選組の幹部でありながら明治を生きた人物は、限られています。
永倉新八(1839-1915)……二番隊組長。維新後は北海道で暮らし、新選組の回想を書き残しました。彼の証言は、新選組の内情を知る主要な史料の一つです。
斎藤一(1844-1915)……三番隊組長。会津まで戦い、維新後は藤田五郎と改名して警視庁に勤めました。西南戦争にも従軍しています。
島田魁(1828-1900)……監察・二番組伍長。箱館まで戦い、晩年は西本願寺の夜間警備員を務めました。かつて隊が屯所を置いた寺です。『島田魁日記』などの記録を残しました。
鈴木三樹三郎(1837-1919)……九番隊組長。離脱して官軍側で戦い、維新後は警察官を歴任しました。組長を務めた人物としては最後の生き残りです。
篠原泰之進(1828-1911)……監察・柔術師範。離脱後に近藤勇襲撃に加わり、維新後は秦林親と改名。晩年はキリスト教に入信しています。
尾形俊太郎(1839-1913)……監察・文学師範。会津以降は長く行方不明とされ、その後半生が判明したのは2013年です。
沖田総司はなぜ有名なのか
隊士のなかでもとりわけ人気が高いのが沖田総司です。理由は三つあります。
剣の腕。 天然理心流の免許皆伝で、隊内でも屈指の使い手とされました。
若さと病。 結核により、戊辰戦争の帰趨を見届けることなく20代半ばで世を去っています。戦って死んだのではなく、病で倒れたという悲劇性が、後世の物語をかき立てました。
記録の少なさ。 生年も定かでなく、確実な肖像も残っていません。空白が多いぶん、後世が自由に像を描ける余地がありました。今日広まっている美青年のイメージは、小説や映像作品によって形づくられたものです。
新選組はなぜ粛清が多かったのか
一覧を見て気づくのは、敵ではなく隊の側に命を奪われた者が多いことです。芹沢鴨、新見錦、山南敬助、河合耆三郎、武田観柳斎、伊東甲子太郎。
うち武田と伊東は離隊後に殺されているので、正確には「隊または旧同志の手にかかった」と言うべき例です。
理由も一通りではありません。 主導権争い(芹沢)、脱走(山南)、金銭(河合)、転向の疑い(武田、理由は諸説)、政治的路線(伊東)。
背景には二つの事情があります。
規律を掲げる組織の宿命。 新選組は厳しい規律で統率される集団でした(有名な「局中法度書」は同時代の原本が確認されておらず、条文の史料性には議論があります)。掟を破った者を許せば、統率そのものが崩れます。規律を保つために内部へ刃を向けざるをえないという構造でした。
寄せ集めという出自。 隊士は各地から集まった浪士で、思想も出身もばらばらです。政治的な路線対立が生じやすく、伊東甲子太郎の離脱のように、内部分裂が実際に起きました。
よくある質問
新選組の隊士は何人いましたか。
時期によって変動しますが、最も多い時期で200名を超えたとされます。
新選組で最も強かったのは誰ですか。
確定はできませんが、沖田総司・斎藤一・永倉新八の3人が屈指の使い手として名を挙げられることが多くなっています。
新選組で生き延びた隊士はいますか。
永倉新八、斎藤一、島田魁、鈴木三樹三郎、篠原泰之進、尾形俊太郎らが明治を生きました。とくに永倉新八の回想は、新選組を知る貴重な史料となっています。
新選組の局長は誰ですか。
近藤勇です。結成初期には芹沢鴨と新見錦も局長の立場にありましたが、いずれも隊内で処断されました。箱館で隊を閉じた最後の隊長は相馬主計です。
新選組の最後の隊長は誰ですか。
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