幕末の文化

奇兵隊とは?高杉晋作が作った身分を問わない軍隊を解説

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奇兵隊とは?高杉晋作が作った身分を問わない軍隊を解説
奇兵隊士の写真(幕末期) / 出典: Wikimedia Commons Public domain

奇兵隊は、高杉晋作が作った武士以外も入れる軍隊です。これが日本の軍隊のかたちを変えました。

目次

奇兵隊とは

奇兵隊とは、文久 3 年(1863 年)に長州藩で組織された、身分を問わない志願制の部隊です。

項目内容
結成文久 3 年 6 月(1863 年 7 月)
創設者高杉晋作
長州藩
構成武士・郷士・農民・町人・僧侶・力士など身分を問わない志願兵
装備洋式の小銃と西洋式の隊列訓練
位置づけ藩の正規軍(家臣団)とは別建ての諸隊のひとつ
解体明治 2〜3 年(1869〜70 年)、新政府軍への再編に伴い解散

「奇兵」は正規の兵(正兵)に対する言葉です。正規軍の外側に、別の原理で作った部隊——という意味が名前に入っています。

奇兵隊はなぜ作られたのか

きっかけは負けたことです。

文久 3 年 5 月(1863 年)、長州藩は下関海峡で外国船を砲撃し、攘夷を実行しました。しかし報復に来たアメリカ・フランス艦隊に砲台を破壊され、藩の正規軍がまるで役に立たなかったのです。

この敗戦の直後、高杉晋作が藩に建議して作ったのが奇兵隊でした。

理屈は単純です。

  • 銃で戦うなら、剣術の修行年数は関係ない。 訓練すれば誰でも撃てます
  • 武士の数には限りがある。 人口の大半を占める農民・町人を兵にできれば、動員力が跳ね上がります
  • 家格で指揮官が決まる正規軍では、負けても人を替えられない

「武士だけで軍を作るのをやめる」——これが奇兵隊の本質です。同じ発想は、吉田稔麿が身分の外に置かれた人々を兵に組もうとした建策にも表れています。

奇兵隊は何をしたのか

下関の防衛。 元治元年(1864 年)の四国艦隊下関砲撃事件では列強に敗れますが、この経験が藩の軍制改革を加速させました。

功山寺挙兵(1864 年 12 月〜1865 年 1 月)。 禁門の変の敗戦後、長州藩は幕府に恭順する方針へ傾きます。これに対し高杉が挙兵し、諸隊を率いて藩の主導権を奪い返しました。 大政奉還まで続く長州の倒幕路線は、ここで決まっています。

第二次長州征討(1866 年)。 幕府の大軍に対し、長州は洋式装備の諸隊で迎え撃ち、各方面で撃退しました。幕府が「勝てない」ことを天下に示した戦いです。大村益次郎の軍制と指揮が、ここで力を発揮しました。

戊辰戦争(1868〜69 年)。 新政府軍の主力の一角として、北越・会津・箱館まで転戦しています。

奇兵隊と正規軍の違い

項目藩の正規軍奇兵隊・諸隊
兵の出身家臣(武士)身分を問わない志願兵
指揮官家格で決まる実力と実績で選ばれる余地があった
装備刀・槍が中心洋式小銃
訓練個人の武芸隊列と射撃の集団訓練
給与家禄藩からの給金

注意したいのは、奇兵隊が「平等な組織」だったわけではないことです。武士出身者と庶民出身者の待遇差は残り、隊内の身分意識も消えていません。それでも、身分の外から兵を採るという一点で、それまでの軍隊とは別物でした。

奇兵隊の最期——脱隊騒動

奇兵隊の終わりは、あまり語られません。

明治維新が成ると、諸隊は不要になります。新政府は徴兵による国民皆兵の軍隊(大村益次郎の構想)へ進み、長州藩は諸隊の大半を解散させました。

明治 2 年(1869 年)末、これに反発した隊士たちが決起します。脱隊騒動です。

鎮圧にあたったのは、同じ長州藩でした。木戸孝允らの指揮で武力鎮圧され、多数が処刑されています。

幕府を倒した部隊が、新政府によって解体され、抵抗して潰された。 奇兵隊の歴史は、この結末まで含めて読む必要があります。同じ構図は、前原一誠の萩の乱や西郷隆盛の西南戦争にも繰り返されました。

奇兵隊の年表

出来事
1863 年 5 月長州藩が下関で外国船を砲撃し、報復を受ける
1863 年 7 月高杉晋作が奇兵隊を組織(文久 3 年 6 月)
1864 年 8 月四国艦隊下関砲撃事件。禁門の変で長州が敗れる
1864 年 12 月高杉が功山寺で挙兵し、諸隊が藩の主導権を握る
1866 年第二次長州征討で幕府軍を各方面で撃退
1867 年 5 月高杉晋作が病没(満 27 歳)
1868〜69 年戊辰戦争に新政府軍として参戦
1869〜70 年諸隊の解散と脱隊騒動。反発した隊士が鎮圧される

よくある質問

奇兵隊とは何ですか。

1863 年に高杉晋作が長州藩で組織した、身分を問わない志願制の部隊です。

奇兵隊は誰が作ったのですか。

高杉晋作です。下関で外国艦隊に敗れた直後に藩へ建議して作りました。

「奇兵」とはどういう意味ですか。

正規の兵(正兵)に対する言葉です。藩の正規軍とは別建ての部隊であることを表しています。

奇兵隊には農民も入れたのですか。

入れました。農民・町人・僧侶・力士など、武士以外の志願者を受け入れています。ただし隊内に待遇の差は残りました。

奇兵隊はどうなったのですか。

維新後に不要となって解散させられ、反発した隊士が明治 2 年末に決起(脱隊騒動)し、長州藩自身の手で鎮圧されました。

創設者は高杉晋作、軍制を設計したのは大村益次郎、同じ発想の建策は吉田稔麿の記事をご覧ください。

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