幕末の偉人

西郷隆盛 — 維新を導き、最後は反乱に散った薩摩の巨人

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西郷隆盛 — 維新を導き、最後は反乱に散った薩摩の巨人
西郷隆盛 肖像(本人写真は非現存・肖像での代替) / 出典: Wikimedia Commons PD-Japan-oldphoto

「敬天愛人」を座右の銘とした西郷隆盛は、明治維新を成し遂げた中心人物のひとりでありながら、最後は新政府に背いて立ち上がり、戦いのなかで生涯を閉じた。維新の英雄と最大の反乱者という、相反する顔をあわせ持つ人物である。

目次

薩摩の下級藩士から

西郷隆盛は文政十年(一八二八年)、薩摩藩の下級藩士の家に生まれた。藩主・島津斉彬に見いだされて頭角をあらわし、藩政や幕末の政局のなかで重要な役割を担うようになる。

斉彬の死後は失脚して島流しを経験するなど、その前半生は決して順風満帆ではなかった。逆境のなかで培われた胆力と人望が、のちの西郷を支える土台となった。

討幕と江戸無血開城

薩摩藩の軍事指導者となった西郷は、坂本龍馬らの仲立ちで成立した薩長同盟を背景に、討幕の流れを主導していく。

戊辰戦争では新政府軍(官軍)の参謀として、旧幕府軍との戦いを指揮した。なかでも歴史的に名高いのが、江戸無血開城である。一八六八年、西郷は幕臣・勝海舟との会談に臨み、江戸城を戦火にさらすことなく明け渡すことで合意した。百万都市・江戸を戦場にしない——この決断が、多くの命を救ったと評価されている。

新政府との訣別

維新後、西郷は新政府の参議として国づくりに携わった。だが、近代化を急ぐ政府の方針と、士族の処遇をめぐって対立が深まっていく。

一八七三年、対外政策をめぐる政争(いわゆる征韓論政変)に敗れた西郷は、政府の職を辞して郷里・鹿児島へ帰った。多くの士族が西郷を慕って鹿児島に集まり、私学校を拠点に独自の勢力を形成していく。

西南戦争と城山

近代国家への改革は、特権を失っていく士族たちの不満を各地で噴き出させた。そして一八七七年、鹿児島の士族たちが蜂起し、西郷はその頂点に担ぎ上げられる。西南戦争である。

近代装備を整えた政府軍に対し、士族の軍勢は次第に追い詰められていった。最後は鹿児島の城山に立てこもり、西郷はそこで生涯を閉じた。享年四十九。日本最後の内戦は、皮肉にも維新の最大の功労者のひとりを敵として終わった。


西郷の死後、その人物像は時代とともに大きく語り直されてきた。英雄か、反逆者か——単純な評価を避け、史実に立ち返って読み解きたい人物である。ほかの志士たちは幕末の偉人の一覧からどうぞ。

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