西郷隆盛 — 維新を導き、最後は反乱に散った薩摩の巨人

「敬天愛人」を座右の銘とした西郷隆盛は、明治維新を成し遂げた中心人物のひとりでありながら、最後は新政府に背いて立ち上がり、戦いのなかで生涯を閉じた。維新の英雄と最大の反乱者という、相反する顔をあわせ持つ人物である。
目次
薩摩の下級藩士から
西郷隆盛は文政十年(一八二八年)、薩摩藩の下級藩士の家に生まれた。藩主・島津斉彬に見いだされて頭角をあらわし、藩政や幕末の政局のなかで重要な役割を担うようになる。
斉彬の死後は失脚して島流しを経験するなど、その前半生は決して順風満帆ではなかった。逆境のなかで培われた胆力と人望が、のちの西郷を支える土台となった。
討幕と江戸無血開城
薩摩藩の軍事指導者となった西郷は、坂本龍馬らの仲立ちで成立した薩長同盟を背景に、討幕の流れを主導していく。
戊辰戦争では新政府軍(官軍)の参謀として、旧幕府軍との戦いを指揮した。なかでも歴史的に名高いのが、江戸無血開城である。一八六八年、西郷は幕臣・勝海舟との会談に臨み、江戸城を戦火にさらすことなく明け渡すことで合意した。百万都市・江戸を戦場にしない——この決断が、多くの命を救ったと評価されている。
新政府との訣別
維新後、西郷は新政府の参議として国づくりに携わった。だが、近代化を急ぐ政府の方針と、士族の処遇をめぐって対立が深まっていく。
一八七三年、対外政策をめぐる政争(いわゆる征韓論政変)に敗れた西郷は、政府の職を辞して郷里・鹿児島へ帰った。多くの士族が西郷を慕って鹿児島に集まり、私学校を拠点に独自の勢力を形成していく。
西南戦争と城山
近代国家への改革は、特権を失っていく士族たちの不満を各地で噴き出させた。そして一八七七年、鹿児島の士族たちが蜂起し、西郷はその頂点に担ぎ上げられる。西南戦争である。
近代装備を整えた政府軍に対し、士族の軍勢は次第に追い詰められていった。最後は鹿児島の城山に立てこもり、西郷はそこで生涯を閉じた。享年四十九。日本最後の内戦は、皮肉にも維新の最大の功労者のひとりを敵として終わった。
西郷の死後、その人物像は時代とともに大きく語り直されてきた。英雄か、反逆者か——単純な評価を避け、史実に立ち返って読み解きたい人物である。ほかの志士たちは幕末の偉人の一覧からどうぞ。
あわせて読みたい

坂本龍馬 — 薩長をむすび、時代を動かした土佐の風雲児
土佐の郷士から脱藩し、海援隊を率いて薩長同盟を実現させた坂本龍馬。わずか三十一年の生涯で幕末を大きく動かした男の足跡を、史実に沿ってたどります。

吉田松陰 — 松下村塾から維新の志士を育てた長州の教育者
わずか数年の塾運営で高杉晋作や伊藤博文ら維新の立役者を育てた吉田松陰。黒船密航の企てから安政の大獄に散るまで、思想家・教育者としての生涯を史実に沿って解説します。

高杉晋作 — 奇兵隊を率い、長州を倒幕へ導いた風雲児
身分を問わない奇兵隊を創設し、わずか二十七年の生涯で長州藩を倒幕へと突き動かした高杉晋作。松下村塾に学んだ風雲児の劇的な足跡を史実に沿って解説します。