幕末偉人診断
あなたが似ている幕末の偉人は
松原忠司
? — 1865
持ち味は胆力
誰も手を挙げない場面になると、あなたが最初に引き受けます。損な役だと分かっていても、宙に浮いたままにしておくほうが嫌だからです。周りはそれを頼りにしています。ただ、押し切って決めた話ほど、相手は反論を諦めただけということがあります。決めた後に、それは違うと言ってくれる人を一人置いておくと、空回りが減ります。
辛抱もあわせ持つ
辛抱もあわせ持っているので、決めたことを実りの見えない時期も抱えていられます。派手ではありませんが、あなたのこれまでの成果はたいていここから出ています。そのかわり、切り上げどきだけは自分では見えません。外から言ってくれる相手を一人持っておくと、抱え込みが長引きません。
知略は不得手
組み立ててから動くのは、あなたのやり方ではありません。やりながら考えるほうが速く、実際それで間に合わせてきました。そのかわり、同じところで二度つまずいても気づきにくく、回数のわりに慣れが積み上がりません。終わった日に一行だけ書き残しておくと、次の自分がその分だけ楽になります。
松原忠司に重なるところ
松原忠司は坊主頭に大薙刀という姿から、今弁慶と呼ばれました。見た目に反して温厚で、隊の者から慕われています。死因は今も定まりません。あなたも、外から見える印象と中身が違う人です。強面のわりに、細かく気を配ります。ただ、印象だけで役を決められます。素の部分を見せる場を、意識して作ってください。
あなたの持ち味
- ・誰も引き受けない役を引き受けられる
- ・時間のかかる仕事を任せられる
気をつけたい場面
- ・相手が折れただけなのを納得と取る
- ・決まるまで動けず先を越される
あなたに近い人
近藤勇
こんどう いさみ
胆力
新選組新選組 局長孤軍援絶えて俘囚となる
辞世の漢詩より
多摩の農家に生まれ、剣一本で京の治安を預かる立場まで昇った。池田屋に斬り込み、板橋で首を落とされた。
1834 — 1868◆055 / 153井上源三郎
いのうえ げんざぶろう
辛抱
新選組新選組 六番隊組長日野の千人同心の家に生まれ、試衛館以来の同志として隊を支えた実直な組長。鳥羽伏見に戦死した。
1829 — 1868●062 / 153佐川官兵衛
さがわ かんべえ
胆力
鬼官兵衛会津藩会津藩 家老会津戦争で鬼と恐れられた家老。降伏後も朝敵の汚名を晴らすべく警視隊に入り、西南戦争で戦死した。
1831 — 1877◆107 / 153来島又兵衛
きじま またべえ
胆力
長州藩遊撃隊 総督高杉の諫めを振り切って京へ攻め上った長州の猛将。蛤御門に迫ったところを狙撃され、四十七歳で自刃。
1817 — 1864◆006 / 153芹沢鴨
せりざわ かも
胆力
新選組 (前身)壬生浪士組 筆頭局長近藤勇と並ぶ筆頭格でありながら、乱行を重ねて隊内で粛清された。神道無念流の腕は確かだったと伝わる。
? — 1863◆065 / 153安藤早太郎
あんどう はやたろう
練達
新選組副長助勤東大寺の通し矢で八千六百八十五本を射通した弓の名手。五十近くで隊に入り、池田屋の裏庭で深手を負った。
? — 1864★079 / 153
あなたと対照的な人
山田顕義
やまだ あきよし
果断
長州藩初代 司法大臣松下村塾の最年少級から戊辰を転戦し、のちに民法と商法を編んだ。日本大学と國學院大學の礎も築いた。
1844 — 1892◆013 / 153福沢諭吉
ふくざわ ゆきち
知略
中津藩 → 慶應義塾慶應義塾 創立天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云えり
『学問のすゝめ』
適塾で蘭学を学び、欧米を自分の目で見て慶應義塾を開いた。筆一本で人々の頭の中身を作り替えた人。
1835 — 1901★★131 / 153近藤長次郎
こんどう ちょうじろう
知略
土佐藩 (脱藩)亀山社中饅頭屋の子から勝海舟の門下へ進み、薩長を結ぶ船と武器の取引をまとめた。単身の留学を咎められ自刃。
1838 — 1866●034 / 153アーネスト・サトウ
あーねすと さとう
知略
イギリス 公使館通訳官・のち駐日公使十九歳で来日し、日本語を武器に幕末外交の中心に立った。『英国策論』は日本の政局そのものを動かした。
1843 — 1929★152 / 153小松帯刀
こまつ たてわき
度量
薩摩藩薩摩藩 家老二十代で家老となり、西郷と大久保を使う立場から薩長同盟と大政奉還を進めた。維新三年目に病で倒れる。
1835 — 1870★019 / 153岩倉具視
いわくら ともみ
度量
公家右大臣・岩倉使節団 全権公家でありながら倒幕を画策し、王政復古を実現させた。維新後は使節団を率いて欧米の実物を見て回る。
1825 — 1883★★122 / 153
松原忠司が実際に何をした人か
坊主頭に大薙刀という異様な出で立ちで今弁慶と呼ばれた。温厚な人柄で慕われ、死因は今も定まらない。
※ 人物の姿は、浮世絵の表現をもとにした創作です。8つの軸の数値も診断用の見立てです。実在した人物の能力や、史実上の評価を示すものではありません。


