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薩長同盟とは?なぜ敵同士が手を結んだのかを解説

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薩長同盟とは?なぜ敵同士が手を結んだのかを解説
木戸孝允(桂小五郎)肖像写真 / 出典: Wikimedia Commons PD-Japan-oldphoto

倒幕という大きな流れを決定づけたのは、一通の密約でした。薩長同盟です。ほんの1年前まで京都で刀を交えていた二つの藩が、幕府を倒すために手を結びました。

目次

薩長同盟とは

薩長同盟とは、1866年3月7日(慶応2年1月21日)、京都で薩摩藩と長州藩のあいだに結ばれた軍事的・政治的な提携の密約です。

項目内容
成立1866年3月7日
場所京都の薩摩藩家老・小松帯刀の邸
当事者薩摩=西郷隆盛・小松帯刀/長州=木戸孝允(桂小五郎)
仲介坂本龍馬中岡慎太郎
性格公表されない密約。文書として正式に交わされたものではない

薩摩と長州はなぜ敵同士だったのか

この同盟の異常さを理解するには、両藩がどれほど憎み合っていたかを知る必要があります。

1863年の八月十八日の政変で、薩摩は会津と組んで長州を京都から追放しました。翌1864年の禁門の変では、御所を挟んで両藩が正面から砲火を交えています。長州はこの戦いで朝敵とされ、多くの人材を失いました。

長州側には「薩賊会奸」、つまり薩摩は賊、会津は奸物だという言葉さえありました。藩士が薩摩の者と口をきくことすら憚られる空気だったと伝えられます。

さらに長州は、幕府による第一次長州征討を受けて恭順を余儀なくされ、藩の存亡すら危うい状態に追い込まれていました。

なぜ手を結べたのか

にもかかわらず同盟が成立したのは、両藩の利害が噛み合ったからです。

長州の事情。 朝敵とされ、幕府の再征討が迫っていました。武器を買おうにも、幕府の圧力で外国商人との取引を封じられています。孤立したままでは滅びるほかありません。

薩摩の事情。 幕府への不信を強めていました。長州が潰されれば、次に幕府の矛先が向くのは自分たちです。また、幕府の権威が回復することは薩摩にとっても望ましくありませんでした。

この二つを橋渡ししたのが武器の取引でした。長州は自力で武器を買えません。そこで薩摩の名義で武器を購入し、長州へ渡すという実務が先に動きます。龍馬らが率いた亀山社中がこの取引を仲介しました。

実利が先にあり、政治的な同盟が後から追いついた。 これが薩長同盟の実態でした。

薩長同盟を仲介した龍馬と中岡慎太郎

とはいえ、感情の溝は簡単には埋まりませんでした。

京都で対面した西郷と木戸は、しばらくのあいだ本題に入れなかったと伝えられます。先に頭を下げた側が負けになる。 どちらも同盟を必要としながら、自分から言い出すことができませんでした。

この膠着を破ったのが龍馬です。遅れて到着した龍馬が事情を聞き、西郷に対して長州の立場を汲むよう促したことで、ようやく話がまとまったとされます。

中岡慎太郎の働きも見逃せません。長州に長く身を置き、高杉晋作ら長州の中枢と信頼関係を築いていた中岡が、両藩のあいだを往復して下地をつくっていました。藩に属さない脱藩浪士だったからこそ、どちらの面子も傷つけずに橋を架けられたのです。

薩長同盟6か条の内容

同盟の内容は6か条にまとめられました。要点は次のとおりです。

  • 幕府と長州が開戦した場合、薩摩は兵を出して長州を援護する
  • 長州が有利になれば、薩摩は朝廷に働きかけて長州の冤罪を晴らす
  • 万一長州が敗れても、薩摩は長州が滅びぬよう尽力する
  • 幕府が薩摩の周旋を妨げるなら、薩摩は幕府と決戦に及ぶ

要するに「長州を見捨てない」という保証です。孤立していた長州にとって、これがどれほど重い意味を持ったかは想像に難くありません。

この6か条は、木戸が内容を書き記して龍馬に送り、龍馬が朱書きで「相違なし」と裏書きした書簡として今日に伝わっています。正式な条約文書が交わされたわけではなく、この裏書きこそが同盟の証拠となりました。

薩長同盟の年表

出来事
1863年8月八月十八日の政変。薩摩・会津が長州を京都から追放
1864年7月禁門の変。両藩が武力衝突。長州が朝敵となる
1864年第一次長州征討。長州は恭順する
1865年薩摩名義での武器調達が始まる
1866年3月7日薩長同盟が成立
1866年6月第二次長州征討。幕府軍が敗退する
1867年10月大政奉還
1868年1月戊辰戦争が始まる

薩長同盟がもたらしたもの

成立から3か月後、幕府は第二次長州征討に踏み切りますが、敗北します。薩摩は出兵を拒み、近代兵装を整えた長州が幕府軍を各地で退けました。

幕府が一つの藩に勝てなかった。 この事実が、幕府の実力が失われていることを天下に知らしめます。ここから倒幕は現実的な選択肢となり、大政奉還、王政復古、戊辰戦争へと一気に進んでいきました。

薩長同盟は、幕末の流れを決定づけた分岐点です。そして同時に、その後の明治政府が薩摩と長州の出身者に占められる「藩閥政治」の起点でもありました。

よくある質問

薩長同盟はいつ結ばれましたか。 1866年3月7日(慶応2年1月21日)、京都においてです。

誰が結んだのですか。 薩摩藩の西郷隆盛・小松帯刀と、長州藩の木戸孝允(桂小五郎)です。坂本龍馬と中岡慎太郎が仲介しました。

なぜ密約だったのですか。 長州は当時、朝敵とされていました。公然と手を結べば薩摩も幕府の敵と見なされるため、公表できなかったのです。

同盟の証拠は残っていますか。 木戸孝允が内容を書き送った書簡に、坂本龍馬が朱で裏書きしたものが現存しています。

仲介した人物は坂本龍馬中岡慎太郎、当事者は西郷隆盛木戸孝允の記事でどうぞ。

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