幕末の偉人

坂本龍馬 — 薩長をむすび、時代を動かした土佐の風雲児

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坂本龍馬 — 薩長をむすび、時代を動かした土佐の風雲児
坂本龍馬 肖像写真(〜1867) / 出典: Wikimedia Commons PD-Japan-oldphoto

幕末の数多い志士のなかでも、坂本龍馬ほど後世に語り継がれる人物は少ない。一介の郷士の身でありながら、犬猿の仲だった薩摩と長州を結びつけ、討幕への大きな流れをつくり出した。その生涯はわずか三十一年だった。

目次

土佐の郷士に生まれて

坂本龍馬は天保六年(西暦では一八三六年初頭)、土佐藩の城下町・高知に生まれた。坂本家は商家から郷士の株を得た家柄で、武士のなかでも下級に位置づけられる「郷士」だった。上士と郷士のあいだには厳しい身分の壁があり、龍馬は若いころからその理不尽さを肌で感じて育ったといわれる。

少年期は剣術に打ち込み、江戸に出て北辰一刀流の千葉道場で学んだ。剣の腕を磨きながら、龍馬は黒船来航以後に揺れ動く時代の空気を吸い込んでいく。

脱藩、そして海への志

一八六二年、龍馬は土佐藩を脱藩する。藩という枠を飛び出した龍馬は、勝海舟と出会って大きく人生を変えた。幕臣でありながら海軍の必要性を説く勝のもとで、龍馬は航海術と世界の情勢を学ぶ。

やがて龍馬は長崎を拠点に、貿易と海運を担う結社をつくり上げた。これがのちの海援隊である。武力ではなく交易と船によって国を動かそうとした発想は、当時としてはきわめて先進的だった。

薩長同盟の仲立ち

龍馬の名を歴史に刻んだ最大の功績が、薩長同盟の成立である。

このころ、薩摩藩と長州藩は政治的に激しく対立していた。だが幕府の力を抑えるには、両藩が手を結ぶほかない——龍馬や中岡慎太郎らはそう考え、両者のあいだを粘り強く取り持った。一八六六年、京都でついに薩長は密約を結ぶ。この同盟が、後の討幕への決定的な布石となった。

大政奉還への道

龍馬はさらに、新しい国家の構想を描いていた。船の上でまとめたとされる「船中八策」には、政権を朝廷に返上し、議会を設けるといった構想が盛り込まれていたと伝えられる。

一八六七年、十五代将軍・徳川慶喜は政権を朝廷に返上した。世にいう大政奉還である。武力衝突を経ずに政権を移そうとしたこの動きにも、龍馬の働きかけが影を落としていた。

近江屋に散る

しかし龍馬は、新しい時代の幕開けを見届けることはできなかった。

大政奉還からほどなくの一八六七年十二月、京都の醤油商・近江屋に潜んでいた龍馬は、中岡慎太郎とともに何者かに襲撃され、命を落とす。享年三十一。下手人については諸説あり、いまも完全には解明されていない。

短くも濃密なその生涯は、後世に「龍馬伝説」として大きく膨らんでいった。歴史上の龍馬と、語り継がれるなかで理想化された龍馬像とは、慎重に区別して読み解く必要がある。それでもなお、彼が幕末の転換点で果たした役割の大きさは揺るがない。


幕末の志士たちが駆けた時代は、幕末の偉人の記事で人物ごとにたどっています。龍馬の有名な肖像が生まれた背景は、幕末の写真術もあわせてどうぞ。

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