幕末の偉人

鍋島直正とは?日本初の反射炉と蒸気船を作った佐賀藩主

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鍋島直正とは?日本初の反射炉と蒸気船を作った佐賀藩主
鍋島直正(閑叟)肖像 / 出典: Wikimedia Commons Public domain

日本で最初に実用の反射炉を作り、大砲を鋳造し、蒸気船を走らせた藩があります。佐賀藩です。やらせたのは藩主・鍋島直正でした。

目次

鍋島直正とは何をした人か

直正は、肥前佐賀藩の第 10 代藩主です。号は閑叟

その仕事は三つに集約されます。

第一に、藩の財政を立て直したこと。 就任時、佐賀藩は借金で破綻寸前でした。直正は徹底した支出削減と産業振興でこれを回復させます。

第二に、日本初の実用反射炉を作らせたこと。 嘉永 3 年(1850 年)に築造を開始し、嘉永 5 年(1852 年)に完成・実用化しました。大量の鉄を溶かして洋式の鋳鉄砲を作るための炉で、日本で最初の実用例です。

第三に、国産の蒸気船を作らせたこと。 佐賀藩は蒸気機関の研究から始めて、国産蒸気船の建造に到達しました。

文化 11 年(1815 年)に生まれ、明治 4 年(1871 年)に没しました。

鍋島直正の藩政改革は借金から始まった

文政 13 年(1830 年)、直正は数えで十七歳のときに藩主となります。

受け継いだのは借金でした。佐賀藩の負債は莫大で、参勤交代の費用も出せない状態だったと伝えられます。江戸を発つときに商人が押し寄せて行列が動けなかった、という話も残ります。

直正がやったことは、まず支出の削減です。自らの経費を削り、藩の役人を減らし、支出を締めました。

そして産業です。佐賀は陶磁器(有田焼)、石炭、農産物を持っています。これを売って現金を得る方向へ舵を切りました。

財政を立て直した上で、彼は技術に金を注ぎ始めます。

鍋島直正が作った日本初の実用反射炉

佐賀藩は嘉永 3 年(1850 年)7 月に反射炉の築造を始め、嘉永 5 年(1852 年)4 月に四炉を完成させました。良好な融鉄に成功したのは同年 5 月です。

反射炉とは、高温で大量の鉄を溶かすための炉です。青銅砲は反射炉なしでも鋳造されていましたが、大型の洋式鋳鉄砲を作るには、鉄を大量に溶解できる反射炉が必要でした。

日本で最初の実用反射炉が、この佐賀のものです。伊豆韮山の反射炉(江川英龍による)より早く、実際に稼働して大砲を生産しました。

なぜ佐賀が先だったのか。長崎です。

佐賀藩は福岡藩と一年交替で長崎の警備を担当していました。出島のオランダ人と接触でき、外国船を実際に見ています。「西洋の砲がどれほどのものか」を、藩として知っていたわけです。

危機感が、投資の速さになりました。

鍋島直正とアームストロング砲

佐賀藩の技術はさらに進みます。

アームストロング砲——イギリスの後装式ライフル砲を、佐賀藩は輸入し、研究しました。国内で製造したという説もありますが、これは 1934 年刊行の史料に依存しており、同時代の裏づけがなく実否は不明です。輸入・保有は確認できます。

これは当時の最新兵器です。従来の前装式(砲口から弾を入れる)と違い、後ろから装填でき、砲身に施条があるため射程と精度が格段に高い砲でした。

戊辰戦争で、佐賀藩の砲は実際に使われています。上野の彰義隊戦や、会津戦争です。

佐賀は「兵力」ではなく「火力」で維新に参加した藩でした。

鍋島直正の蒸気船と精煉方

直正は、精煉方という研究機関を藩内に設けました。

ここでやったことは、理化学と工学の研究です。蒸気機関、電信、写真、火薬、ガラス。藩の予算で科学技術を研究する組織を持っていたわけです。

そして国産蒸気船の建造に到達します。外国から買うのではなく、作ったのです。

日本の近代工業の出発点の一つが、佐賀にあります。

鍋島直正の維新後と最期

慶応 3 年(1867 年)の大政奉還の局面で、佐賀藩の動きは遅れました。

直正は慎重だったのです。薩摩・長州・土佐が動いたあとに、佐賀が加わります。この遅れによって、佐賀は「薩長土肥」の最後尾になりました。

しかし佐賀藩は、人材では劣っていません。大隈重信江藤新平副島種臣——明治政府の中枢に、佐賀出身者が並びます。

直正自身は明治になって議定や北海道開拓督務などを務め、明治 4 年 1 月 18 日——西暦の 1871 年 3 月 8 日に没しました。満 56 歳です。

廃藩置県の四か月ほど前にあたります。自分が立て直した藩が消えるところは、見ていません。

鍋島直正の年表

出来事
1815 年佐賀藩主家に生まれる
1830 年数え 17 歳で第 10 代佐賀藩主となる。藩は債務超過
1830〜40 年代支出削減と産業振興で財政を立て直す
1850 年日本初の実用反射炉の築造を開始
1852 年反射炉が完成し、融鉄に成功。実用化
1850 年代精煉方を設け、蒸気機関・電信・火薬などを研究させる
1860 年代アームストロング砲を輸入・研究(国産の実否は不明)。国産蒸気船を建造
1868 年戊辰戦争に佐賀藩の砲が投入される
1871 年 3 月 8 日没。満 56 歳(明治 4 年 1 月 18 日・廃藩置県の四か月前)

佐賀出身の維新の人材は大隈重信江藤新平副島種臣、幕末の藩の状況は幕末の藩で扱っています。

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