幕末偉人診断
あなたが似ている幕末の偉人は
尾関雅次郎
1844 — 1892
持ち味は辛抱
成果が出ない時期になっても、あなたは手を離しません。周りが一人ずつ降りていくなかに残るので、時間のかかる仕事は自然とあなたのところへ集まります。ただ、粘れるぶん、やめたほうがいいものまで抱え続けます。始めるときに、どうなったら降りるかを決めておくと、粘りが消耗に変わりません。
大義もあわせ持つ
大義もあわせ持っているので、迷ったときに戻る場所がはっきりしています。判断のぶれが小さく、周りも先を読めます。そのかわり、その場所を口に出す機会が少ないので、結果だけを見た人には気まぐれに映ります。決めた理由を一言添えるだけで、筋が通っていることが伝わります。
知略は不得手
組み立ててから動くのは、あなたのやり方ではありません。やりながら考えるほうが速く、実際それで間に合わせてきました。そのかわり、同じところで二度つまずいても気づきにくく、回数のわりに慣れが積み上がりません。終わった日に一行だけ書き残しておくと、次の自分がその分だけ楽になります。
尾関雅次郎に重なるところ
尾関雅次郎は行軍の先頭で誠の旗を掲げ続けました。表に出ない役目のまま、会津から箱館までを戦い抜いています。あなたも、目印であり続ける人です。派手な働きはなくても、居場所が動きません。ただ、旗を持つ人は自分では戦えません。支えているつもりが我慢になっていないか、時々確かめてください。
あなたの持ち味
- ・時間のかかる仕事を任せられる
- ・言うことが変わらない
気をつけたい場面
- ・やめどきを逃して抱え続ける
- ・決まるまで動けず先を越される
あなたに近い人
島田魁
しまだ かい
辛抱
新選組二番隊 伍長身の丈六尺の巨漢。箱館まで戦い抜き、晩年は西本願寺の夜警として日記を書き残した。
1828 — 1900★069 / 153井上源三郎
いのうえ げんざぶろう
辛抱
新選組新選組 六番隊組長日野の千人同心の家に生まれ、試衛館以来の同志として隊を支えた実直な組長。鳥羽伏見に戦死した。
1829 — 1868●062 / 153来島又兵衛
きじま またべえ
胆力
長州藩遊撃隊 総督高杉の諫めを振り切って京へ攻め上った長州の猛将。蛤御門に迫ったところを狙撃され、四十七歳で自刃。
1817 — 1864◆006 / 153松本捨助
まつもと すてすけ
天運
新選組隊士土方の縁戚で道場にも通いながら、長男ゆえに入隊を断られ続けた。親を説き伏せて慶応三年に念願を果たす。
1845 — 1918●089 / 153松原忠司
まつばら ちゅうじ
胆力
今弁慶新選組四番隊組長・柔術師範坊主頭に大薙刀という異様な出で立ちで今弁慶と呼ばれた。温厚な人柄で慕われ、死因は今も定まらない。
? — 1865◆072 / 153篠原泰之進
しのはら たいのしん
胆力
新選組 → 御陵衛士監察・柔術師範監察と柔術師範を務めながら勤王の志で隊を割り、近藤勇の襲撃に加わった。後年は改名し信仰に生きる。
1828 — 1911◆100 / 153
あなたと対照的な人
平賀源内
ひらが げんない
果断
高松藩 (脱藩)本草学者・戯作者・発明家本草学も戯作も発明も手がけた才人。エレキテルを復元し、土用の丑の日の伝説を残し、獄中に死んだ。
? — 1780★138 / 153吉田稔麿
よしだ としまろ
果断
長州藩松下村塾 四天王身分の外に置かれた人々を兵に組もうとした松下村塾の異才。池田屋の変に巻き込まれ二十三歳で消えた。
1841 — 1864◆004 / 153近藤長次郎
こんどう ちょうじろう
知略
土佐藩 (脱藩)亀山社中饅頭屋の子から勝海舟の門下へ進み、薩長を結ぶ船と武器の取引をまとめた。単身の留学を咎められ自刃。
1838 — 1866●034 / 153山田顕義
やまだ あきよし
果断
長州藩初代 司法大臣松下村塾の最年少級から戊辰を転戦し、のちに民法と商法を編んだ。日本大学と國學院大學の礎も築いた。
1844 — 1892◆013 / 153小松帯刀
こまつ たてわき
度量
薩摩藩薩摩藩 家老二十代で家老となり、西郷と大久保を使う立場から薩長同盟と大政奉還を進めた。維新三年目に病で倒れる。
1835 — 1870★019 / 153阿部正弘
あべ まさひろ
度量
幕府老中首座黒船来航のときの最高責任者。前例を破って諸大名に意見を求め、人を選んで登用し、三十代で世を去った。
1819 — 1857◆049 / 153
尾関雅次郎が実際に何をした人か
行軍の先頭で誠の旗を掲げ続けた男。表に出ない役目のまま、会津から箱館までを戦い抜いた。
※ 人物の姿は、浮世絵の表現をもとにした創作です。8つの軸の数値も診断用の見立てです。実在した人物の能力や、史実上の評価を示すものではありません。


