幕末偉人診断
あなたが似ている幕末の偉人は
大野右仲
1837 — 1911
持ち味は天運
あなたは流れの変わり目に気づきます。理屈で説明する前に、今だと分かってしまいます。動くべきときに動けるので、同じ手間でも返ってくるものが大きくなります。ただ、来た波に乗るのが上手いぶん、波が来ない時期の過ごし方が雑になります。何も起きない月に何を仕込むかを決めておくと、次の波が大きくなります。
知略もあわせ持つ
知略もあわせ持っているので、うまくいった後にその理由を説明できます。同じ手を次の場面でも使えるので、一度の経験が何度も効きます。ただ、説明のつかない好機を前にすると、腑に落ちるまで手が止まります。理由は後から付けても間に合うと割り切れると、動き出しが速くなります。
果断は不得手
速さで勝負する場所に、あなたは立っていません。決める前に確かめたいことが多く、その慎重さで大きな事故を防いできました。そのかわり、決めずにいるあいだに、別の人が先に場所を取っていることがあります。いつまでに決めるかだけ先に置いておくと、慎重さが弱みになりません。
大野右仲に重なるところ
大野右仲は唐津藩士から仙台で隊に加わり、二股口から箱館の総攻撃まで土方歳三の傍らにいました。その日の経緯を書き残しています。あなたも、要になる人のそばに自然と収まる人です。呼ばれた場所で、必要なことを黙って埋めます。ただ、傍にいる人の働きは記録に残りません。見聞きしたことは、自分の言葉で残しておいてください。
あなたの持ち味
- ・動くべきときに動ける
- ・段取りを組んでから動ける
気をつけたい場面
- ・波が来ない時期の過ごし方が雑になる
- ・早く出しすぎて引き返す
あなたに近い人
尾形俊太郎
おがた しゅんたろう
天運
新選組副長助勤局長の信頼が厚く会津まで従った。長く消息不明とされた後半生が、子孫の伝えた漢詩から明らかになった。
1839 — 1913●083 / 153タウンゼント・ハリス
たうんぜんと はりす
大義
アメリカ 領事館初代 駐日総領事軍艦で開かせたペリーに対し、下田の寺に腰を据えて交渉だけで通商条約を結んだ。粘りで勝った男。
1804 — 1878★151 / 153山県有朋
やまがた ありとも
天運
長州藩陸軍卿・元老奇兵隊から身を起こし、徴兵制と近代陸軍を築いた。元老として長く政界の底に沈み、評価は今も割れる。
1838 — 1922★009 / 153副島種臣
そえじま たねおみ
知略
佐賀藩外務卿マリア・ルス号事件で清国人労働者を解き放った外務卿。蒼海と号した書家としても名を残している。
1828 — 1905●118 / 153杉田玄白
すぎた げんぱく
知略
小浜藩 医官『解体新書』 訳述腑分けの現場で西洋医学書の正確さに衝撃を受け、辞書もないまま訳し上げた。蘭学はここから始まる。
1733 — 1817★133 / 153榎本武揚
えのもと たけあき
天運
幕臣海軍副総裁幕府艦隊を率いて蝦夷へ渡り、五稜郭で最後まで戦った。降伏後に死罪を免れ、明治政府で大臣まで務める。
1836 — 1908★047 / 153
あなたと対照的な人
藤堂平助
とうどう へいすけ
果断
魁先生新選組 → 御陵衛士新選組 八番隊組長池田屋へ真っ先に斬り込んだ若い剣客。のちに袂を分かって御陵衛士に加わり、かつての仲間に討たれた。
1844 — 1867◆061 / 153佐々木只三郎
ささき たださぶろう
練達
京都見廻組京都見廻組 与頭小太刀日本一と称された剣客。近江屋の龍馬・中岡を襲った実行者とされ、鳥羽伏見の傷がもとで没した。
1833 — 1868◆067 / 153清河八郎
きよかわ はちろう
果断
庄内藩 (脱藩)浪士組 発起幕府に浪士組を作らせ、京で「これは朝廷の兵だ」と裏返した策士。その一手が新選組を生んだ。
1830 — 1863◆068 / 153沖田総司
おきた そうじ
果断
新選組新選組 一番隊組長隊内でも指折りの遣い手とされた若き組長。労咳に倒れ、戦の趨勢を見ぬまま江戸で息を引き取った。
? — 1868★057 / 153山南敬助
やまなみ けいすけ
練達
新選組新選組 総長温厚と伝わる総長でありながら、屯所を脱して切腹に果てた。その理由は今も諸説のまま定まらない。
? — 1865◆063 / 153桐野利秋
きりの としあき
果断
人斬り半次郎薩摩藩陸軍少将中村半次郎の名で幕末を斬り抜け、明治には陸軍少将となった。最後は西郷とともに城山で果てた。
? — 1877★024 / 153
大野右仲が実際に何をした人か
唐津藩士から仙台で隊に加わり、二股口から箱館総攻撃まで土方の傍らに居た。その日の経緯を書き残した。
※ 人物の姿は、浮世絵の表現をもとにした創作です。8つの軸の数値も診断用の見立てです。実在した人物の能力や、史実上の評価を示すものではありません。


