幕末偉人診断
あなたが似ている幕末の偉人は
江藤新平
1834 — 1874
持ち味は大義
あなたには譲れない一点があります。損得で説明できない選び方をしたことがあり、今も悔いていません。長く付き合った人ほど、言うことが変わらない人だと分かってくれます。ただ、その一点を知らない相手からは、話の通じない人に見えます。何を大事にしているかを一度だけ話しておくと、頑固が筋に変わります。
知略もあわせ持つ
知略もあわせ持っているので、うまくいった後にその理由を説明できます。同じ手を次の場面でも使えるので、一度の経験が何度も効きます。ただ、説明のつかない好機を前にすると、腑に落ちるまで手が止まります。理由は後から付けても間に合うと割り切れると、動き出しが速くなります。
天運は不得手
巡り合わせに任せる勝ち方を、あなたは選びません。運で決まる部分を認めたくないので、手の届く範囲を広げようとします。おかげで備えは人より厚くなります。そのかわり、賭けるべき一回を見送って、後から悔やむことがあります。失っても構わない額を先に決めておくと、賭けられる回数が増えます。
江藤新平に重なるところ
江藤新平は司法の独立を掲げて裁判所を置きました。相手が政府の高官でも汚職を追い、後に佐賀の乱に担がれて処刑されています。あなたも、おかしいと思ったことを口に出せる人です。立場が上の相手にも、事実を並べて言えます。ただ、正しさが先に立つと、相手には責められたように聞こえます。指摘の前に、同じものを目指していると一言添えてください。
あなたの持ち味
- ・言うことが変わらない
- ・段取りを組んでから動ける
気をつけたい場面
- ・話の通じない人に見られる
- ・波が来ない時期の過ごし方が雑になる
あなたに近い人
小栗忠順
おぐり ただまさ
大義
幕臣勘定奉行遣米使節として米国を見て、横須賀に製鉄所を起こした。最後まで抗戦を説き、罷免ののち斬首された。
1827 — 1868★045 / 153橋本左内
はしもと さない
知略
越前福井藩福井藩 藩政改革数え十五で『啓発録』を著した俊英。藩政改革と将軍継嗣問題に奔走し、二十五歳で安政の大獄に消えた。
1834 — 1859★113 / 153佐久間象山
さくま しょうざん
知略
松代藩兵学者・思想家東洋道徳、西洋芸術
『省諐録』
西洋の技術を取り込むことを説き、勝海舟や吉田松陰を育てた。傲岸と評され、京で斬られて果てた。
1811 — 1864★121 / 153吉田松陰
よしだ しょういん
大義
二十一回猛士長州藩松下村塾 主宰身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂
辞世
萩の小さな塾で、のちに国を動かす門下生を育てた師。三十年の生涯のほとんどを学びと囚われに費やした。
1830 — 1859★001 / 153水野忠邦
みずの ただくに
大義
幕府老中・天保の改革倹約令に株仲間解散、人返し令に上知令。幕府の立て直しを一気に進めて、二年余りで失脚した。
1794 — 1851●053 / 153久坂玄瑞
くさか げんずい
大義
長州藩松下村塾 双璧諸侯恃むに足らず、公卿恃むに足らず、草莽志士を糾合するの外にはとても策これ無し
文久二年 武市半平太宛書簡
松陰の妹を妻に迎え、長州の攘夷路線を理屈で組み立てた俊才。禁門の変に敗れ、二十四歳で自刃した。
1840 — 1864★003 / 153
あなたと対照的な人
阿部十郎
あべ じゅうろう
天運
新選組 → 御陵衛士御陵衛士一度脱走して戻り、御陵衛士として近藤勇を襲った。維新後は開拓使でりんごを育て、証言を残した。
1837 — 1907●103 / 153中島登
なかじま のぼり
練達
新選組伍長多摩の農家から隊に入り箱館まで戦った。同志の姿を描いた『戦友絵姿』を残し、浜松で鉄砲火薬店を開く。
1838 — 1887◆080 / 153谷万太郎
たに まんたろう
胆力
新選組大坂屯所 長ぜんざい屋事件で大利鼎吉を討った腕利き。維新後は道場経営に失敗し、用心棒で余生を送った。
1835 — 1886●074 / 153永倉新八
ながくら しんぱち
辛抱
新選組新選組 二番隊組長池田屋に斬り込み、局長を諫める建白書まで出した男。大正まで生き、隊の記憶を書き残した。
1839 — 1915★059 / 153近藤芳助
こんどう よしすけ
天運
新選組伍長会津まで戦い、取り調べでは隊士であることを隠して生き延びた。維新後は横浜で代言士となる。
1843 — 1922●087 / 153桃井春蔵
ももい しゅんぞう
練達
位の桃井士学館鏡新明智流 士学館 四代江戸三大道場のひとつを継ぎ、武市半平太や岡田以蔵を門下に持った。晩年は神職として剣を教えた。
1825 — 1885◆125 / 153
江藤新平が実際に何をした人か
裁判所を置き、司法権の独立を掲げ、政府高官の汚職を追った。佐賀の乱に担がれ、さらし首にされた。
※ 人物の姿は、浮世絵の表現をもとにした創作です。8つの軸の数値も診断用の見立てです。実在した人物の能力や、史実上の評価を示すものではありません。


