山県有朋とは?日本陸軍を作り上げた元老の生涯と評価を解説

日本の軍隊のかたちを、最も深く決めた人物です。山県有朋。松下村塾に学んだ長州の下級武士が、近代日本の陸軍を作り上げました。
目次
山県有朋とは何をした人か
山県の仕事は、日本の軍と、その軍が政治に対して持つ位置を作ったことにあります。
第一に、近代陸軍の建設。 徴兵制を導入し、身分によらず国民を兵とする軍隊を作りました。
第二に、軍の指揮系統を政治から切り離す仕組み。 軍人が政治に関与することを戒める一方で、軍令(作戦・用兵の系統)を内閣から独立させ、天皇に直結させる構造を築きました。この設計が、後の時代に大きな影響を残します。
第三に、長い政治的支配。 二度首相を務め、その後も元老として、内閣の人事から軍事まで長く影響力を保ち続けました。
天保 9 年(1838 年)、長州藩の下級武士――足軽の家に生まれます。
松下村塾から奇兵隊へ
山県は吉田松陰の松下村塾に学びました。ただし塾での期間は短く、松陰の直接の薫陶を長く受けたわけではありません。
彼が頭角をあらわすのは、高杉晋作が創設した奇兵隊においてです。奇兵隊は、武士だけでなく農民や町人も加えた革新的な軍でした。身分を問わない軍という発想を、山県はここで実地に経験します。
戊辰戦争では、この奇兵隊を率いて各地を転戦し、軍事指揮官として実績を積みました。同じ長州でも、伊藤博文が政治と外交の道を進んだのに対し、山県は軍の道を進んだのです。
徴兵制と近代陸軍
明治になり、山県は軍制の建設を担います。
彼はヨーロッパへ渡って各国の軍制を調べ、日本に持ち帰りました。そして進めたのが、徴兵制です。
武士だけが戦う時代を終わらせ、国民から兵を集める。 これは士族から特権を奪う改革でもありました。大村益次郎が構想し暗殺によって果たせなかったこの路線を、山県が引き継いで実現したとも言えます。
明治 10 年(1877 年)の西南戦争では、この徴兵制による政府軍が、士族の反乱軍を破りました。山県が作った国民の軍が、武士の時代に最終的な決着をつけたのです。
軍を政治から切り離す
山県の設計で、後世に最も重い意味を持ったのが、軍と政治の関係です。
彼は軍人に対し、政治に関与してはならないと繰り返し説きました。一方で、作戦・用兵にかかわる軍令の系統を、内閣ではなく天皇に直結させる仕組みを整えていきます(軍政や予算は政府・議会とも関わり、制度は段階的に形づくられました)。
この「軍令が政府の統制の外にある」という構造は、後の時代に軍が政治の統制を離れて暴走する下地になったと、しばしば指摘されます。山県本人の意図がどこにあったかとは別に、彼の作った制度が長く影響したことは確かです。
元老としての支配
山県は二度、内閣総理大臣を務めました。しかし彼の力の本質は、首相の座よりも元老という立場にありました。
元老とは、明治から大正にかけて、次の首相を事実上決める権限を持った少数の重臣です。山県は伊藤博文と並ぶ元老として、内閣の交代や政策に長く影響を及ぼしました。
とりわけ軍と官僚の分野では、彼の息のかかった人々が要職を占め、「山県閥」と呼ばれる巨大な人脈が作られました。表舞台の首相が代わっても、背後で山県が動いている――そうした状況が長く続いたのです。
評価が分かれる人物
山県は、同時代からも後世からも、あまり好かれてこなかった人物です。
明るく人望のあった伊藤博文と比べ、山県は陰気で、権力に執着し、人を信じないという人物像で語られがちです。
しかし評価はそれだけではありません。日本の軍隊と官僚制度の骨格を作った実務家としての手腕は、否定しがたいものです。好かれなかったが、有能だった。近代日本の権力構造を、誰よりも深く握っていた人物でした。
一方で、彼が作った「軍の独立」という仕組みが後の破局につながったとすれば、その責任も彼の設計に帰されることになります。功罪の両方が大きい――それが山県の評価です。
大正 11 年(1922 年)、山県は死去します。満 83 歳(数えで 85)でした。その葬儀は、国民からの人気の乏しさを示すように、参列者がまばらだったと伝えられます。同じ年に亡くなった大隈重信の国民葬とは、対照的な最期でした。
山県有朋の年表
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