黒田清隆とは?北海道開拓と妻をめぐる噂の真相を解説

敵将の命を救い、北海道を開き、憲法発布のときの首相だった人物です。黒田清隆。同時に、妻の死をめぐる噂でも知られます。
目次
黒田清隆とは何をした人か
黒田の仕事は三つに分かれます。
第一に、戊辰戦争の指揮官として。 箱館で榎本武揚を降伏させ、その後榎本の助命に奔走しました。
第二に、北海道の開拓者として。 開拓使の長官として、アメリカから技術者を招き、屯田兵を置き、北の大地の開発を主導しました。
第三に、内閣総理大臣として。 第 2 代首相を務めました。大日本帝国憲法が発布されたときの首相がこの人です。憲法は天皇が定めて与える欽定憲法として発布されたもので、黒田は国務大臣として副署する立場でした。
天保 11 年(1840 年)、薩摩藩士の家に生まれました。
敵将を救う
慶応 4 年から明治 2 年(1868〜69 年)にかけての戊辰戦争で、黒田は新政府軍の参謀として各地を転戦します。最後の戦場が箱館でした。
五稜郭に籠る榎本武揚を降伏させたのが黒田です。そして降伏した榎本を、彼は救おうとしました。
旧幕府勢力の首魁である以上、死罪が当然という空気のなかで、黒田は助命を求めて働きかけます。頭を丸めてまで嘆願したと伝えられます。
榎本は 2 年半の入獄を経て放免され、のちに明治政府で大臣を歴任することになります。敵の総大将を殺さずに使うという判断に、黒田が果たした役割は小さくありません。
北海道を開く
明治政府で黒田が担ったのが、開拓使です。
北海道の開発は、当時の日本にとって単なる国内開発ではありませんでした。ロシアの南下に対する備えという性格を強く持っています。
黒田はアメリカへ渡り、農務長官を務めたケプロンらを高給で招きました。寒冷地の農業、鉱山、道路、都市計画。アメリカ式の大規模開拓の手法を、そのまま北海道に持ち込もうとしたのです。
屯田兵の制度も彼の主導によります。士族を入植させ、平時は開墾、有事は兵とする仕組みで、職を失った士族の受け皿としても機能しました。
札幌の街の骨格や、北海道大学の前身となる学校も、この時期の産物です。
開拓使官有物払下げ事件
明治 14 年(1881 年)、黒田は大きな批判にさらされます。
開拓使が築いてきた官有の施設や事業を、同じ薩摩出身の商人へ極めて安い値で払い下げようとしたためです。世論は激しく反発しました。
この事件は政府への不信を高め、大隈重信が政府を追われる明治十四年の政変の背景の一つとなります。開拓の功績と、この一件の汚点は、同じ人物の記録に並んで残りました。
第 2 代内閣総理大臣
明治 21 年(1888 年)、黒田は伊藤博文の後を受けて内閣総理大臣となります。
在任中の明治 22 年(1889 年)、大日本帝国憲法が発布されました。日本が成文憲法を持つ国になった、その瞬間の首相です。
このとき黒田は、政府は政党の外に立つべきだという趣旨の演説を行いました。憲法ができ議会が開かれても、政府は政党の意向に左右されない――という立場の表明です。
政党政治へ向かう流れに対する、明確なブレーキでした。
妻の死をめぐる噂
黒田について検索されるとき、しばしば出てくるのが妻に関する噂です。
明治 11 年(1878 年)、黒田の妻が亡くなりました。その直後から、黒田が酒に酔って妻を斬ったのではないかという噂が世間に流れます。
黒田が大酒飲みで、酔うと荒れたという評判があったことが、噂を広げました。
事は警察が動くところまで発展したと伝えられます。 当時の警察のトップが墓を掘り返して遺体を検分したという話が知られていますが、これは後年の記述に依るもので、同時代の記録で裏づけられているわけではありません。
確かなのは、妻が病を得ていたことと死亡の届けを示す同時代の記録が残っていること、そして斬殺を裏づける証拠が何も出ていないことです。
ただしこの一件は、有力政治家の私生活に世論が疑いを向け、警察が動いてまで確かめたという点で、当時の空気を伝える出来事として記憶されています。噂そのものは今日まで語り継がれており、検索されるのもそのためです。
最期
明治 33 年(1900 年)、黒田は死去します。満 59 歳でした。
黒田清隆の年表
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