幕末の偉人

近藤長次郎とは?饅頭屋から亀山社中を支えた男の生涯と切腹

約5分で読めます
近藤長次郎とは?饅頭屋から亀山社中を支えた男の生涯と切腹
近藤長次郎 肖像写真(慶応年間・長崎写真館) / 出典: Wikimedia Commons Public domain

薩長同盟へ向かう薩摩と長州のあいだに、船と銃の取引で実績と信頼をつくった男がいます。近藤長次郎。土佐の饅頭屋の子でした。そして同盟が成るわずか七日前に、彼は切腹させられます。

目次

近藤長次郎とは何をした人か

長次郎は、土佐の町人出身で、坂本龍馬の同志です。饅頭屋長次郎と呼ばれました。

その仕事は二つです。

第一に、亀山社中の実務を回したこと。 龍馬たちが長崎で作った日本初の商社ともいわれる組織で、長次郎は交渉と実務の中心にいました。

第二に、長州のために船と武器を買ったこと。 幕府に敵視されて何も買えない長州のために、薩摩の名義を使って蒸気船と銃を手に入れました。この取引は、薩長のあいだに実績と信頼をつくり、同盟への接近を支えました。

天保 9 年(1838 年)に生まれ、慶応 2 年(1866 年)に没しました。満 27 歳です。

近藤長次郎の生い立ちと饅頭屋の子という出自

長次郎は、高知城下で餅菓子を商う町人の家に生まれました。武士ではありません。

当時、町人の子が学問で身を立てるのは、極めて難しいことでした。それでも長次郎は学び、河田小龍という土佐の知識人のもとに出入りします。小龍は、漂流してアメリカを見てきたジョン万次郎から直接話を聞き取った人物です。

やがて長次郎は、藩から士分を許され、江戸へ出ることを認められました。そして勝海舟の門下に入り、神戸の海軍操練所で航海術を学びます。

餅菓子屋の子が、幕府の軍艦奉行の弟子になったわけです。

近藤長次郎と亀山社中

元治元年(1864 年)、海軍操練所は幕府によって閉鎖されます。行き場を失った龍馬たちを、薩摩藩が引き受けました。

慶応元年(1865 年)、長崎で亀山社中が結成されます。海運と貿易を請け負う組織で、のちの海援隊の前身です。藩に属さない浪士たちが、商売で自立しようとした——当時としては異様な試みでした。

長次郎は、この社中の実務の中心にいました。

近藤長次郎とユニオン号

そして最大の仕事が来ます。

当時、長州は幕府から朝敵とされ、外国商人から武器を買うことができませんでした。一方の薩摩には、その制限がありません。

そこで、薩摩の名義で買って長州に渡すという手が考えられました。

長次郎は長崎で交渉にあたり、蒸気船ユニオン号と、数千挺の銃を成立させます。この取引は、グラバーら長崎の外国商人を相手にしたものでした。

武器と船が実際に長州へ渡ったことが、薩摩と長州の不信を溶かしました。慶応 2 年 1 月 21 日(西暦では 1866 年 3 月 7 日)、六か条の合意——薩長同盟が結ばれます。

もちろん同盟は、この取引だけで成ったものではありません。坂本龍馬中岡慎太郎の周旋、両藩それぞれの政治・軍事の事情が必要でした。ただ、言葉の約束の前にモノが動いていたことは確かで、その実務を担ったのが長次郎でした。

近藤長次郎はなぜ切腹させられたのか

そして長次郎は、その同盟成立を見ていません。

慶応 2 年 1 月 14 日(西暦では 1866 年 2 月 28 日)、長崎で切腹しました。同盟が結ばれる七日前です。

理由は、単身でイギリスへ留学しようと企てたことだとされます。社中には「勝手に事を運ばない」という掟がありました。社中の名で得た信用と便宜を、自分の留学に使おうとした——それが掟破りと見なされたのです。

満 27 歳でした。

坂本龍馬はこのとき長崎にいませんでした。帰って事を知った龍馬が深く悔やんだという話が伝わっていますが、これは後年に記録されたもので、言葉の中身には諸説あります。

長次郎の出自が、この処分に影響したのではないかという見方もあります。町人上がりの彼が、武士出身の同志たちと完全に対等だったかどうか——確かめようのない問いです。

近藤長次郎の墓

墓は長崎市の皓台寺(こうたいじ)にあります。龍馬が墓碑銘を書いたと伝えられます。

高知市にも顕彰の碑があり、饅頭屋の子として生まれた土地で、名前が残されています。

近藤長次郎の年表

出来事
1838 年高知城下の餅菓子商の家に生まれる
1850 年代河田小龍に学び、藩から士分を許される
1860 年代前半勝海舟の門下に入り、神戸海軍操練所で学ぶ
1865 年長崎で亀山社中の結成に加わる
1865 年薩摩名義で蒸気船ユニオン号と銃を購入し、長州へ渡す
1866 年 2 月 28 日長崎で切腹(慶応 2 年 1 月 14 日)。満 27 歳
1866 年 3 月 7 日七日後、薩長同盟が成立(慶応 2 年 1 月 21 日)

同志は坂本龍馬、取引の相手はトーマス・グラバー、同盟そのものは薩長同盟で扱っています。

あわせて読みたい