幕末の偉人

トーマス・グラバーとは?倒幕を支えた英国商人の生涯を解説

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トーマス・グラバーとは?倒幕を支えた英国商人の生涯を解説
トーマス・ブレーク・グラバー 肖像写真 / 出典: Wikimedia Commons Public domain

武器を売ることで、日本の革命に関わったイギリス人がいます。トーマス・ブレーク・グラバー。長崎のグラバー園で名を知られる商人です。

目次

トーマス・グラバーとは何をした人か

グラバーは、幕末の長崎で活動したスコットランド出身の商人です。

彼の仕事は、大きく二つの時期に分かれます。

第一に、幕末――武器を売った時期。 薩摩・長州をはじめとする倒幕側の藩に、艦船や銃を売りました。倒幕を、商売として支えたわけです。

第二に、明治――産業に関わった時期。 造船、炭鉱、ビール、鉄道。近代日本の産業の各分野に、彼の関与の跡があります。

1838 年、スコットランドの生まれ。20 代前半で来日し、長崎に商会を構えました。

武器商人として

グラバーが来日したのは、日本が開国して間もない時期です。

彼が扱った最大の商品は、武器でした。銃、大砲、そして艦船。幕末の日本は、諸藩が競って軍備を近代化しようとしていた時期であり、西洋の武器には巨大な需要がありました。

グラバーは、この需要に応えます。とりわけ薩摩藩や長州藩――のちに倒幕の中心となる藩に、武器を供給しました。

ここに、彼の立場の複雑さがあります。長州は当時、幕府から敵視されていた藩です。その長州に武器を売ることは、幕府の方針に反する行為でした。グラバーは、そうした危うい取引を厭いませんでした。

なお、グラバーは倒幕側だけと取引したわけではなく、幕府側とも商いをしています。彼を突き動かしたのは第一に商売であり、特定の政治的立場に賭けていたと断定できる史料はありません。ただ、結果として彼の武器が倒幕側の力になったことは確かです。

坂本龍馬との関わり

グラバーは、坂本龍馬とも接点を持ったとされます。

龍馬が関わった亀山社中(のちの海援隊)は、藩の枠を越えて交易と海運を担う組織でした。武器や艦船の取引において、グラバーの商会と亀山社中が関わりを持ったと考えられています。

有名なのが、長州が薩摩の名義で武器を購入したという取引です。敵視されていた長州が直接は買えない武器を、薩摩を通じて手に入れる。この仲介に龍馬らが関わり、その先にグラバーがいたとされます。

ただし、龍馬とグラバーの具体的な関係を示す一次記録は多くありません。二人がどれほど直接に結びついていたかについては、慎重に見る必要があります。

明治の産業へ

倒幕が成り、明治になると、グラバーの商売は転機を迎えます。

武器の需要は、内戦の終結とともに減りました。グラバー商会は経営に行き詰まり、一度は破綻します。

しかしグラバー自身は、日本を去りませんでした。明治日本の産業のなかに、新たな居場所を見つけたのです。

彼は造船業に関わり、のちの三菱の事業を支えました。高島炭鉱の経営にも関与しています。日本で最初期のビール事業――のちのキリンビールにつながる会社にも関わったとされます。

革命を武器で支えた男が、革命の後は産業で国を支えたことになります。晩年、その功績によって勲章を受けています。

グラバー園

グラバーが長崎に建てた住まいは、現存する日本最古級の木造洋風建築として知られます。

長崎の南山手にあるこの旧宅を中心に、周辺の洋館を集めて整備されたのがグラバー園です。長崎を代表する観光地であり、幕末に西洋人が長崎で暮らした痕跡を今に伝えています。

彼は日本人女性・ツルと家庭を築きました。グラバーの息子・倉場富三郎(生母については諸説あります)は日本で育ち、長崎の水産業や社会に関わって生きています。グラバーの血は、日本人として続いたわけです。

トーマス・グラバーの年表

出来事
1838 年スコットランドに生まれる
1859 年開港した長崎に来る
1860 年代武器商人として薩摩・長州などに艦船・銃を売る
1865 年頃長州の武器購入などに関わったとされる
明治初期商会が破綻。造船・炭鉱など産業へ転じる
1911 年東京で死去。満 73 歳

同時代の日本側の人々は坂本龍馬、開国の経緯は黒船来航で扱っています。

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