幕末の文化

江戸時代の1両は今のいくら?換算方法をわかりやすく解説

約6分で読めます
江戸時代の1両は今のいくら?換算方法をわかりやすく解説
慶長小判(東京国立博物館蔵・銀座六丁目出土) / 出典: Wikimedia Commons PD-old

時代劇で「百両」と聞いても、それがどれくらいの大金なのか、なかなか実感が湧きません。江戸時代の1両は、今のいくらにあたるのでしょうか。

先に結論を言うと、この問いに唯一の正解はありません。ただし「なぜ答えが割れるのか」を理解すれば、およその見当はつけられます。

目次

江戸時代の1両は今のいくら

代表的な換算では、1両はおよそ5万円から30万円の幅に収まります。これほど開きがあるのは、何を基準に比べるかで答えが変わるからです。

換算の基準1両のおよその価値
米の価格から換算約7万〜8万円
大工など職人の賃金から換算約20万〜30万円
そばの値段から換算約12万〜13万円

同じ1両が、米で測れば7万円、職人の手間賃で測れば30万円になります。どれかが間違っているのではなく、どれも正しいというのがこの問題の本質です。

なぜ換算基準によって答えが変わるのか

理由は、江戸時代と現代とで、モノやサービスの相対的な値段が入れ替わっているからです。

現代の日本では、米は安く、人件費は高くなっています。江戸時代はその逆で、米は生活の中心を占める高価な財であり、人の手間賃は相対的に安いものでした。

つまり、米を基準にすると「1両で買える米の量」は現代の感覚より少なく見え、賃金を基準にすると「1両で雇える人手」は現代の感覚より多く見えます。基準を変えれば答えが数倍動くのは当然なのです。

同じことは現代でも起こります。三十年前の1万円を「ラーメン何杯分か」で測るか「大卒初任給の何分の一か」で測るかで、答えは変わります。江戸時代はその差がずっと大きい、というだけのことです。

米で換算するといくらか

もっとも古典的な方法が、米価による換算です。

江戸時代の中期以降、米1石(約150キログラム)がおよそ1両とされていました。1石は、大人1人が1年間に食べる米の量にあたるとされます。

現代の米価を5キログラムあたり2500円前後とすると、150キログラムは約7万5000円。ここから1両 ≒ 7万〜8万円という数字が出てきます。

この方法の利点は、江戸時代の経済が米を基軸にしていたため、当時の人の感覚に近いことです。武士の禄も、藩の石高も、すべて米で測られていました。

職人の賃金で換算するといくらか

もうひとつが、賃金による換算です。

江戸時代の大工の日当は、時期により幅がありますが、おおむね銀5匁前後とされます。これを金に直すと、1両でおよそ30〜40日分の手間賃にあたります。

現代の大工の日当を2万円前後とすれば、30日分で60万円。ただし当時の職人は年間を通じて仕事があったわけではないため、実感に近づけて1両 ≒ 20万〜30万円とされることが多くなっています。

この方法だと、米による換算の3倍以上になります。江戸時代の人件費が、現代に比べていかに安かったかを示す数字です。

江戸時代のお金の単位

換算を理解するには、当時の貨幣制度を押さえておく必要があります。江戸時代は金・銀・銭の三貨制度で、しかも三者の交換比率は相場で変動していました。

単位換算用途
1両= 4分 = 16朱金貨。大きな取引に使う
1分= 4朱金貨
1貫= 1000文
1文最小単位日常の買い物

金1両と銭の交換比率は、公定では1両 = 4000文とされましたが、実際の相場では時期によって大きく上下しました。幕末には1両 = 6000文を超えることもあります。

さらに、江戸は金、大坂は銀を主に使うという地域差もありました。両替商が栄えたのは、この複雑さがあったからです。

1両で何が買えたのか

具体的な物価で見ると、実感がつかみやすくなります。江戸後期のおおよその目安は次のとおりです。

品目値段1両(=約4000文)で買える量
かけそば1杯16文約250杯
銭湯1回8〜10文約400〜500回
米1石(150kg)約1両1石
長屋の家賃(月)300〜500文約8〜13か月分

そば250杯という数字は、現代の感覚に置き換えやすい目安です。1杯500円とすれば12万5000円で、先ほどの表の「そば基準で12万〜13万円」と一致します。

武士の給料は何両だったのか

武士の収入は、金額ではなく米の量(石高)で表されました。

  • 下級武士……三十俵二人扶持といった水準で、年収は現代の感覚でおよそ100万〜200万円程度とされます
  • 中級の旗本……数百石。現代の年収で1000万円前後にあたる場合もあります
  • 大名……1万石以上。ただし家臣の給与や参勤交代の費用がここから出るため、手元に残る額は見た目ほど多くありません

注意したいのは、石高がそのまま手取りではないことです。年貢率や家臣の扶持を差し引く必要があり、とくに下級武士の暮らしは決して楽ではありませんでした。内職をして家計を支える武士が珍しくなかったことは、多くの記録が伝えています。

幕末には1両の価値が急落した

ここまでの数字は江戸時代を通じたおおよその目安ですが、幕末になると事情が大きく変わります

開国によって金が海外へ流出し、幕府が万延の改鋳で小判の金の含有量を減らしたためです。貨幣の質が落ちれば、その価値も下がります。

さらに貿易の拡大による物価上昇が重なり、幕末の十年ほどで物価は数倍に跳ね上がったとされます。同じ「1両」でも、幕末のそれは江戸中期の数分の一の価値しかありません。

時代劇や小説で「百両」が出てきたとき、それがいつの百両かによって重みがまるで違う、ということです。この物価高が庶民の不満を高め、ええじゃないかのような騒動の背景にもなりました。

よくある質問

江戸時代の1両は今のいくらですか。 換算の基準によりますが、およそ5万円から30万円の幅に収まります。米価なら7万〜8万円、職人の賃金なら20万〜30万円が目安です。

なぜ答えがひとつに決まらないのですか。 江戸時代と現代とで、モノと人件費の相対的な値段が入れ替わっているためです。何を基準に比べるかで答えが数倍変わります。

1両は何文ですか。 公定では4000文でしたが、実際の相場は変動し、幕末には6000文を超えることもありました。

小判1枚が1両ですか。 はい。一般に流通した小判1枚が1両にあたります。ただし小判は時代ごとに金の含有量が異なり、万延小判のように質を落としたものもあります。

武士の給料はいくらでしたか。 金額ではなく米の量(石高)で表されました。下級武士は現代の年収でおよそ100万〜200万円程度とされ、内職で家計を補う者も少なくありませんでした。

幕末の貨幣の混乱については万延小判、開港がもたらした経済の変化は横浜開港の記事でどうぞ。

あわせて読みたい