幕末の文化

ええじゃないかとは?1867 年の御札降りと民衆の乱舞を解説

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ええじゃないかとは?1867 年の御札降りと民衆の乱舞を解説
慶應四豊年踊之圖(河鍋暁斎, 1867) / 出典: Wikimedia Commons PD-old

ええじゃないかは、幕府が倒れる直前の日本で起きた、説明のつきにくい熱狂です。大政奉還と同じ数か月の出来事でした。

目次

ええじゃないかとは何か

ええじゃないかとは、慶応 3 年(1867 年)の秋から翌年にかけて、東海地方から近畿一帯へ広がった民衆の集団的な乱舞です。

項目内容
時期慶応 3 年(1867 年)夏〜秋に始まり、翌年春ごろまで
地域東海(三河・尾張)から始まり、京・大坂、さらに東西へ広がる
きっかけ御札降り——伊勢神宮などの御札が空から降ったとされる現象
内容人々が着飾って街へ出て、囃し立てながら踊り歩く
囃し言葉「ええじゃないか」のほか、地域ごとに文句が異なる
終息明治元年(1868 年)ごろ、新政府の取り締まりとともに収まる

特徴は、指導者も要求も綱領もないことです。一揆のように年貢の減免を求めるわけでも、打ちこわしのように特定の商家を狙うわけでもありません。

御札降りとは何だったのか

始まりは御札降りでした。伊勢神宮などの御札が、空から降ってきたとされる現象です。

御札が降った家は、それを祝って酒や食べ物を振る舞うことになります。人が集まり、囃子が始まり、近所へ広がる。祝いの席が、そのまま街頭の乱舞になっていきました。

では、本当に空から降ったのか。 誰かが撒いた、あるいは置いたと考えるのが自然で、同時代にもそう疑う声はありました。ただし、誰がどの範囲でやったのかを示す確かな史料はありません。

倒幕派の陰謀だったのか

「ええじゃないかは、倒幕派が幕府の目をそらすために仕掛けたものだ」という説は、以前から語られてきました。

これは、確定した事実としては扱えません。

言えるのは次のことです。

  • 時期は確かに重なる。 ええじゃないかの最盛期と、大政奉還(1867 年 11 月 9 日)・王政復古の大号令(1868 年 1 月 3 日)は同じ数か月に収まります
  • 街が騒がしければ、兵や武器の動きは目立ちにくい。 結果として倒幕側に利した面はあるでしょう
  • しかし、組織的に仕掛けたことを示す一次史料は確認されていません

「利用した者がいた可能性」と「誰かが仕組んだ」は別の話です。本記事は前者までにとどめます。

民衆にとって何だったのか

背景には、開港後の物価高があります。横浜からの生糸輸出で国内の品が不足し、万延の改鋳で貨幣の質が落ち、米価は跳ね上がりました。

そこへ政局の混乱が重なります。誰が政権を持つのかが、庶民には見通せません。

ええじゃないかで人々が歌った文句には、世直しを期待する言葉が含まれていました。「世の中が変わる」という感覚が先にあり、その気分が祝祭の形で噴き出したと見るのが穏当です。

幕末の民衆運動を一揆や打ちこわしだけで見ていると、この現象は視野から落ちます。 ええじゃないかは、制度への要求ではなく、時代の切り替わりそのものへの反応でした。

ええじゃないかの年表

年月出来事
1867 年 7〜8 月東海地方で御札降りが起き、ええじゃないかが始まる
1867 年 9〜11 月京・大坂へ波及。街頭の乱舞が連日続く
1867 年 11 月 9 日大政奉還(慶応 3 年 10 月 14 日)
1868 年 1 月 3 日王政復古の大号令(慶応 3 年 12 月 9 日)
1868 年 1 月 27 日鳥羽・伏見の戦い。戊辰戦争が始まる
1868 年春ごろ新政府の取り締まりとともに収束する

よくある質問

ええじゃないかとは何ですか。

1867 年から翌年にかけて、東海から近畿へ広がった民衆の集団的な乱舞です。指導者も要求もないのが特徴でした。

御札降りとは何ですか。

伊勢神宮などの御札が空から降ったとされる現象です。降った家が祝いの振る舞いをし、それが乱舞につながりました。

ええじゃないかは倒幕派の仕掛けですか。

そう語られることがありますが、組織的な工作を示す一次史料は確認されていません。時期が重なり結果として倒幕側に利した、という範囲までが確かです。

なぜ起きたのですか。

開港後の物価高と政局の不透明さが背景にあり、世直しへの期待が祝祭の形で噴き出したと考えられています。

いつ終わったのですか。

明治元年(1868 年)ごろ、新政府の取り締まりとともに収まりました。

同じ時期の政変は大政奉還、物価高の原因は万延小判の記事をご覧ください。

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