ええじゃないか — 幕末の世を覆った民衆の熱狂

幕末も終わりに近づいた一八六七年の秋から冬にかけて、奇妙な熱狂が世間を覆った。人々が「ええじゃないか」と口々に唱えながら、街道や町を踊り歩いたのである。政治の大変動の陰で、民衆もまた独特のかたちで時代の空気を表していた。
目次
御札が降る
騒動は、空から神社のお札が降ってきたという噂とともに広がったと伝えられる。お札が降った家ではめでたいこととしてお祝いをし、振る舞いをした。
人々はそれを口実のように、にわかに着飾って踊り出した。「ええじゃないか」という囃子言葉を繰り返しながら、老若男女が入り乱れて熱狂する光景が、各地で見られたという。
東海から近畿へ
この騒動は、おもに東海地方から始まり、近畿一帯へと広がっていったとされる。横浜の開港以降の物価高や社会不安のなか、人々の鬱屈した気分が一気に噴き出したものとも考えられている。
日常の秩序が一時的にゆるみ、身分や立場の違いを超えて人々が踊り狂う——そこには、抑圧からの解放を求める民衆の願いがにじんでいた。
大変動の陰で
ちょうどこのころ、政治の世界では大政奉還が行われ、時代は大きく動こうとしていた。武士たちが日本の進路をめぐって緊張を高めるその裏で、市井の人々はまったく別の熱気に包まれていたのである。
何を意味したのか
「ええじゃないか」が何のために、どのように広がったのか、その全容には今なお謎が多い。背後に政治的な意図があったとする見方もあれば、純粋な民衆の自然発生的な騒ぎだったとする見方もある。
確かなのは、激動の時代にあって、民衆もまた声を上げ、体を動かして「世直し」への期待を表していたということだ。幕末は、為政者だけでなく名もなき人々の熱気によっても彩られていた。
同じ時代の出来事は、幕末の文化の各記事で掘り下げています。
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