黒船来航と開国 — 二百年の鎖国を揺るがした四隻の黒船

幕末という激動の時代は、海の向こうからやってきた四隻の船で幕を開けた。一八五三年、アメリカのペリー提督が率いる艦隊が江戸湾の入り口・浦賀に現れる。世にいう黒船来航である。
目次
浦賀に現れた黒船
当時の日本は、長くオランダ・中国などに限って交易する体制(いわゆる鎖国)をとっていた。そこへ突如、四隻の艦隊が——しかも、そのうちには黒煙を上げて自力で進む蒸気軍艦までもが——姿を現したのだから、人々の衝撃は計り知れない。なお、この四隻すべてが蒸気船だったわけではなく、蒸気船と帆船が混じっていた。
ペリーはアメリカ大統領の国書を手渡し、開国を強く求めた。圧倒的な軍事力を背景にした要求を前に、幕府は即答を避け、回答を翌年に持ち越させる。
揺れる幕府
黒船の去ったあと、幕府は前例のない対応を迫られた。老中・阿部正弘は、これまで幕府が独占してきた重要な政治判断について、諸大名や朝廷にも広く意見を求めた。
この決断は、幕府の威信が絶対ではなくなりつつあることを内外に示すことにもなった。やがて高まる尊王攘夷の動きへとつながる、大きな転機だった。
日米和親条約と開国
一八五四年、再び来航したペリーとのあいだで、幕府は日米和親条約を結ぶ。下田と箱館(函館)の開港などが取り決められ、二百年あまり続いた体制はここに大きく転換した。
さらに一八五八年には、より広い通商を認める条約が結ばれ、横浜などが貿易港として開かれていく。開国は、政治・経済・文化のあらゆる面に巨大な変化をもたらした。
海防への目覚め
黒船の衝撃は、海の守りという課題を突きつけた。江戸湾には急ぎ砲台が築かれ(お台場)、洋式の軍備や海軍の必要性が痛感されるようになる。
黒船来航は、単なる一度の事件ではない。日本がそれまでの自国の枠組みを根本から問い直す、長い幕末の出発点だったのである。
開国がもたらした文化の変化は、幕末の文化の各記事で掘り下げています。
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