幕末の文化

万延小判とは?金流出と改鋳、幕末の物価高をわかりやすく解説

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万延小判とは?金流出と改鋳、幕末の物価高をわかりやすく解説
慶長小判(東京国立博物館蔵・撮影 Daderot, CC0) / 出典: Wikimedia Commons CC0

万延小判は、日本の金が海外へ流れ出るのを止めるために作られた小判です。歴代でいちばん小さい小判でもあります。

目次

万延小判とは

万延小判とは、万延元年(1860 年)に幕府が発行した小判です。

項目内容
発行万延元年(1860 年)
目的金の海外流出を止め、国内外の金銀比価を近づけること
特徴従来の小判より大幅に小さく、金の量が少ない
通称小ささから「雛小判」とも呼ばれる
結果流出は止まったが、物価が急騰した

改鋳(かいちゅう)とは、貨幣を作り直すことです。江戸幕府は財政難のたびに改鋳を行いましたが、万延の改鋳は財政目的というより、外交と貿易への緊急対応でした。

なぜ日本から金が流出したのか

原因は、金と銀の交換比率が国内と海外で違っていたことです。

地域金 1 に対する銀の量
当時の日本およそ 1 : 5
当時の海外およそ 1 : 15

日本では、銀に比べて金が安かったわけです。

そこで何が起きたか。外国商人は次のようにしました。

  1. 銀貨(洋銀)を日本へ持ち込む
  2. 日本で割安な金貨(小判)に交換する
  3. 小判を海外へ持ち出し、銀に戻す

これだけで銀の量が数倍になります。 1859 年の横浜開港からの短い期間に、大量の小判が国外へ持ち出されました。

これは誰かの陰謀ではなく、比価の差がある限り自動的に起きる裁定取引です。幕府は貿易を始める時点でこの差を計算に入れていませんでした。

万延の改鋳は何をしたのか

幕府が打った手は、小判のほうを海外の比価に合わせることでした。

金の含有量を大きく減らした小判を作れば、金貨を持ち出しても儲からなくなります。 こうして万延小判が発行されました。

流出は止まりました。目的は達しています。

しかし副作用が出ます。小判 1 枚に含まれる金が減った以上、その 1 枚で買えるものは減るからです。

  • 物価が急騰する。 とくに米価の上昇は庶民を直撃しました
  • 武士の生活が苦しくなる。 俸禄は米建てや定額で決まっており、物価上昇に追いつきません
  • 幕府の信用が落ちる。 「幕府が貨幣を悪くした」という受け止め方が広がりました

この物価高が、尊王攘夷の主張に燃料を供給します。 外国と貿易を始めた結果として暮らしが苦しくなった、という因果が庶民にも見えたためです。ええじゃないかのような民衆の熱狂も、この経済的な圧力を背景に持っています。

開港・改鋳・物価高・攘夷は、一本の線でつながっています。

江戸の小判はどう変わってきたのか

万延小判の位置づけは、歴代の小判と並べると分かりやすくなります。

小判時期傾向
慶長小判江戸初期金の含有量が高い。品位の基準
元禄小判元禄期財政難で品位を落とす
享保小判享保期品位を戻す
天保小判天保期ふたたび品位を落とす
万延小判1860 年量目そのものを大きく減らす。歴代最小

改鋳は江戸時代を通じて繰り返された政策でしたが、外国との比価に合わせるために行われたのは万延の改鋳だけです。

小判の価値の実感については、一両はいくらの記事で現在の金額に換算しています。

万延小判の年表

出来事
1858 年日米修好通商条約。貿易の開始が決まる
1859 年横浜などが開港。金銀比価の差から金の流出が始まる
1860 年万延の改鋳。万延小判を発行し、流出を抑える
1860 年代前半物価が急騰。武士・庶民ともに生活が圧迫される
1867 年ええじゃないか。民衆の不安が噴き出す

よくある質問

万延小判とは何ですか。

万延元年(1860 年)に幕府が発行した小判です。金の含有量を大きく減らし、海外への金流出を止めるために作られました。

なぜ日本から金が流出したのですか。

日本の金銀比価が約 1 : 5、海外が約 1 : 15 で、日本の金が相対的に安かったためです。銀を持ち込んで金に替え、持ち出すだけで利益が出ました。

万延の改鋳で流出は止まったのですか。

止まりました。ただし小判の価値が下がったため、物価が急騰する副作用が出ています。

万延小判はなぜ小さいのですか。

海外との比価に合わせるため、金の量そのものを減らしたからです。歴代の小判で最も小さく、雛小判とも呼ばれます。

物価高は幕末の政治に影響しましたか。

しました。開港と改鋳の結果として暮らしが苦しくなったことが、尊王攘夷の主張を後押ししています。

貨幣の価値の実感は一両はいくら、開港の経緯は横浜開港の記事をご覧ください。

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