万延小判と金の流出 — 開国がもたらした経済の混乱

開国は、政治や文化だけでなく、経済にも大きな衝撃を与えた。なかでも深刻だったのが、日本の金貨が大量に海外へ流れ出してしまうという問題である。
目次
金と銀の交換比率
混乱の原因は、金と銀の交換比率が、日本と海外とで大きく異なっていたことにあった。
当時の日本では、世界の相場に比べて金が割安に、銀が割高に扱われていた。この差に目をつければ、銀を持ち込んで日本の金貨に替え、それを国外で売るだけで利益が得られてしまう。横浜などの開港地を通じて、この仕組みによる金の流出が進んでいった。
流れ出す小判
こうして、日本の小判が次々と海外へ運び出されていった。国内の貴金属が失われることは、経済の土台を揺るがしかねない深刻な事態だった。
幕府は事態を食い止めようとしたが、内外の相場の差という根本の問題を前に、対応は後手に回りがちだった。
万延の改鋳
そこで幕府が打った手が、貨幣の作り直し——万延の改鋳である。一八六〇年、それまでより金の量を抑えた小判(万延小判)が新たに鋳造された。
これによって金の流出はある程度抑えられた。しかし、貨幣に含まれる金が減ったことは、貨幣の価値そのものを下げることにつながる。結果として物価の上昇を招き、人々の暮らしを圧迫した。
暮らしを襲う物価高
開国にともなう貿易の拡大や貨幣の混乱は、急激な物価高となって庶民に降りかかった。生活の苦しさは、世の中への不満を高めていく。
ええじゃないかの熱狂のような民衆の動きの背景にも、こうした経済の動揺があったと考えられている。開国がもたらした変化は、人々の財布のなかにまで及んでいたのである。
開国期の社会の変化は、幕末の文化の各記事で掘り下げています。
あわせて読みたい

幕末の写真術 — 銀板と湿板がとらえた侍たちの素顔
開国前後に日本へ伝わった写真技術は、幕末の人々の素顔を後世に残した。上野彦馬・下岡蓮杖ら先駆者の歩みと、龍馬たちの肖像が生まれた背景を史実に沿って紹介します。

黒船来航と開国 — 二百年の鎖国を揺るがした四隻の黒船
一八五三年、ペリー率いる黒船が浦賀に現れ、日本は開国へと舵を切った。鎖国の終わりと幕末の幕開けをもたらした黒船来航の経緯を、史実に沿ってわかりやすく解説します。

蘭学と適塾 — オランダ語が開いた西洋への窓
鎖国下の日本で西洋の知をもたらした蘭学。緒方洪庵が大坂に開いた適塾では福沢諭吉らが学んだ。幕末の近代化を支えた学問とその拠点を、史実に沿って解説します。