幕末偉人診断
あなたが似ている幕末の偉人は
山崎烝
? — 1868
持ち味は果断
あなたは迷っている時間が惜しいので、材料が揃う前に動き出します。人が考えているあいだに一つ目の形ができているため、話が具体的になるのが早くなります。ただ、早いぶん、引き返す回数も人より多くなります。やり直しても痛まない範囲から出すようにすると、速さがそのまま持ち味になります。
練達もあわせ持つ
練達もあわせ持っているので、話すことに裏づけがあります。やったことしか口にしないぶん、あなたの言葉は軽く扱われません。そのかわり、経験のない分野になると急に慎重になります。やったことがないからと手を挙げなかった回数を、たまに数えてみてください。
度量は不得手
人をまとめて動かすことに、あなたは力を使っていません。自分の手の内で片づけたほうが速く、実際そのとおりです。そのかわり、一人でやれる量には天井があり、そこに当たってから人を探すので毎回間に合わせになります。困る前に声をかけておくだけで、この弱さは表に出なくなります。
山崎烝に重なるところ
山崎烝は情報を集めて人を見張る役を担いました。鍼医の子とされますが、生まれた年も最期も史料の上では分かっていません。あなたも、表に名前を出さずに働ける人です。見えないところで場を支えます。ただ、記録に残らない仕事は評価もされません。何をしたかを、自分の手元にだけでも残しておいてください。
あなたの持ち味
- ・人より先に形にできる
- ・任せた仕事の出来が安定する
気をつけたい場面
- ・早く出しすぎて引き返す
- ・引き受けすぎて自分の仕事が残る
あなたに近い人
沖田総司
おきた そうじ
果断
新選組新選組 一番隊組長隊内でも指折りの遣い手とされた若き組長。労咳に倒れ、戦の趨勢を見ぬまま江戸で息を引き取った。
? — 1868★057 / 153藤堂平助
とうどう へいすけ
果断
魁先生新選組 → 御陵衛士新選組 八番隊組長池田屋へ真っ先に斬り込んだ若い剣客。のちに袂を分かって御陵衛士に加わり、かつての仲間に討たれた。
1844 — 1867◆061 / 153清河八郎
きよかわ はちろう
果断
庄内藩 (脱藩)浪士組 発起幕府に浪士組を作らせ、京で「これは朝廷の兵だ」と裏返した策士。その一手が新選組を生んだ。
1830 — 1863◆068 / 153富山弥兵衛
とみやま やへい
果断
新選組 → 御陵衛士御陵衛士薩摩藩士の子。間者の嫌疑を取りなされて入隊し、御陵衛士として近藤勇を襲い、越後で捕らえられた。
1843 — 1868●104 / 153東洲斎写楽
とうしゅうさい しゃらく
果断
江戸浮世絵師十か月だけ現れて百四十余点の役者絵を残し、消えた絵師。正体は今も定まらず、評価は海外が先だった。
? — ?★★143 / 153岡田以蔵
おかだ いぞう
果断
人斬り以蔵土佐藩土佐勤王党京の闇で刃を振るい、恐れられた郷士。捕らえられて拷問に耐えきれず、二十七歳で処刑された。
1838 — 1865★030 / 153
あなたと対照的な人
西郷隆盛
さいごう たかもり
度量
大西郷薩摩藩薩摩藩 軍賦役敬天愛人
南洲翁遺訓
二度の島流しを経て倒幕の総大将となり、江戸を戦火から救った。最後は郷里の若者とともに西南の役に散る。
1828 — 1877★★015 / 153タウンゼント・ハリス
たうんぜんと はりす
大義
アメリカ 領事館初代 駐日総領事軍艦で開かせたペリーに対し、下田の寺に腰を据えて交渉だけで通商条約を結んだ。粘りで勝った男。
1804 — 1878★151 / 153山県有朋
やまがた ありとも
天運
長州藩陸軍卿・元老奇兵隊から身を起こし、徴兵制と近代陸軍を築いた。元老として長く政界の底に沈み、評価は今も割れる。
1838 — 1922★009 / 153島津久光
しまづ ひさみつ
度量
薩摩藩薩摩藩 国父藩主にならぬまま薩摩の実権を握り、兵を率いて上京し幕政改革を迫った。維新後は改革に最後まで抗った。
1817 — 1887●018 / 153松平容保
まつだいら かたもり
度量
会津藩京都守護職京の治安を預かり、そのために朝敵とされた藩主。孝明天皇の信任を胸に抱いたまま、会津は焼かれた。
1836 — 1893★105 / 153大山巌
おおやま いわお
辛抱
薩摩藩陸軍大将・元帥西郷の従弟でありながら、西南戦争では政府軍を率いた。会津藩家老の娘・捨松との結婚は世を騒がせた。
1842 — 1916◆022 / 153
山崎烝が実際に何をした人か
情報収集と監視を担った監察。鍼医の子とされるが、生年も最期も史料の上では確定していない。
※ 人物の姿は、浮世絵の表現をもとにした創作です。8つの軸の数値も診断用の見立てです。実在した人物の能力や、史実上の評価を示すものではありません。


