幕末偉人診断
あなたが似ている幕末の偉人は
鈴木三樹三郎
1837 — 1919
持ち味は天運
あなたは流れの変わり目に気づきます。理屈で説明する前に、今だと分かってしまいます。動くべきときに動けるので、同じ手間でも返ってくるものが大きくなります。ただ、来た波に乗るのが上手いぶん、波が来ない時期の過ごし方が雑になります。何も起きない月に何を仕込むかを決めておくと、次の波が大きくなります。
胆力もあわせ持つ
胆力もあわせ持っているので、言いにくいことを人より先に口にできます。誰も切り出さないまま止まっていた話を、あなたの一言が動かしてきたはずです。そのぶん、いったん言い切ってしまうと引っこめにくくなります。前と違うことを言ってもいいと言ってくれる相手が近くにいると、身動きが取りやすくなります。
度量は不得手
人をまとめて動かすことに、あなたは力を使っていません。自分の手の内で片づけたほうが速く、実際そのとおりです。そのかわり、一人でやれる量には天井があり、そこに当たってから人を探すので毎回間に合わせになります。困る前に声をかけておくだけで、この弱さは表に出なくなります。
鈴木三樹三郎に重なるところ
鈴木三樹三郎は伊東甲子太郎の実弟です。兄が暗殺された後は薩摩の側で戊辰を戦い、組長を務めた者では最後の生き残りになりました。あなたも、近しい人を失っても歩みを止めない人です。悲しみを抱えたまま次の場所へ移れます。ただ、飲み込んだ分は誰にも見えません。区切りをつける日を、自分で作ってあげてください。
あなたの持ち味
- ・動くべきときに動ける
- ・誰も引き受けない役を引き受けられる
気をつけたい場面
- ・波が来ない時期の過ごし方が雑になる
- ・引き受けすぎて自分の仕事が残る
あなたに近い人
阿部十郎
あべ じゅうろう
天運
新選組 → 御陵衛士御陵衛士一度脱走して戻り、御陵衛士として近藤勇を襲った。維新後は開拓使でりんごを育て、証言を残した。
1837 — 1907●103 / 153加納鷲雄
かのう わしお
天運
新選組 → 御陵衛士御陵衛士近藤勇の襲撃に加わり、板橋の首実検では偽名を使う元上官をひと目で見分けた。維新後は札幌へ渡る。
1839 — 1902●102 / 153篠原泰之進
しのはら たいのしん
胆力
新選組 → 御陵衛士監察・柔術師範監察と柔術師範を務めながら勤王の志で隊を割り、近藤勇の襲撃に加わった。後年は改名し信仰に生きる。
1828 — 1911◆100 / 153中島登
なかじま のぼり
練達
新選組伍長多摩の農家から隊に入り箱館まで戦った。同志の姿を描いた『戦友絵姿』を残し、浜松で鉄砲火薬店を開く。
1838 — 1887◆080 / 153中浜万次郎
なかはま まんじろう
天運
土佐 → 幕臣通詞・航海術教授十四歳で漂流し、捕鯨船に救われて十年を海の向こうで過ごした。帰国後は英語と航海術で開国期を支える。
1827 — 1898★★149 / 153近藤芳助
こんどう よしすけ
天運
新選組伍長会津まで戦い、取り調べでは隊士であることを隠して生き延びた。維新後は横浜で代言士となる。
1843 — 1922●087 / 153
あなたと対照的な人
松平容保
まつだいら かたもり
度量
会津藩京都守護職京の治安を預かり、そのために朝敵とされた藩主。孝明天皇の信任を胸に抱いたまま、会津は焼かれた。
1836 — 1893★105 / 153西郷頼母
さいごう たのも
大義
会津藩会津藩 家老京都守護職就任に反対して藩主と対立した家老。会津戦争では自邸で一族二十一人が命を絶っている。
1830 — 1903●106 / 153橋本左内
はしもと さない
知略
越前福井藩福井藩 藩政改革数え十五で『啓発録』を著した俊英。藩政改革と将軍継嗣問題に奔走し、二十五歳で安政の大獄に消えた。
1834 — 1859★113 / 153横井小楠
よこい しょうなん
知略
熊本藩福井藩 政治顧問開国と公議の思想を説き、勝海舟や坂本龍馬に強い影響を与えた。明治初年、京で暗殺された。
1809 — 1869★120 / 153徳川斉昭
とくがわ なりあき
大義
水戸藩水戸藩主藩政改革と海防を進め、尊王攘夷の思想的な源となった藩主。実子・慶喜を巡って井伊直弼と激突した。
1800 — 1860★111 / 153水野忠邦
みずの ただくに
大義
幕府老中・天保の改革倹約令に株仲間解散、人返し令に上知令。幕府の立て直しを一気に進めて、二年余りで失脚した。
1794 — 1851●053 / 153
鈴木三樹三郎が実際に何をした人か
伊東甲子太郎の実弟。兄の暗殺後は薩摩側で戊辰を戦い、組長経験者では最後の生き残りとなった。
※ 人物の姿は、浮世絵の表現をもとにした創作です。8つの軸の数値も診断用の見立てです。実在した人物の能力や、史実上の評価を示すものではありません。


