幕末偉人診断
あなたが似ている幕末の偉人は
斎藤一
1844 — 1915
持ち味は果断
あなたは迷っている時間が惜しいので、材料が揃う前に動き出します。人が考えているあいだに一つ目の形ができているため、話が具体的になるのが早くなります。ただ、早いぶん、引き返す回数も人より多くなります。やり直しても痛まない範囲から出すようにすると、速さがそのまま持ち味になります。
練達もあわせ持つ
練達もあわせ持っているので、話すことに裏づけがあります。やったことしか口にしないぶん、あなたの言葉は軽く扱われません。そのかわり、経験のない分野になると急に慎重になります。やったことがないからと手を挙げなかった回数を、たまに数えてみてください。
知略は不得手
組み立ててから動くのは、あなたのやり方ではありません。やりながら考えるほうが速く、実際それで間に合わせてきました。そのかわり、同じところで二度つまずいても気づきにくく、回数のわりに慣れが積み上がりません。終わった日に一行だけ書き残しておくと、次の自分がその分だけ楽になります。
斎藤一に重なるところ
斎藤一は会津が落ちる最後まで残りました。維新の後は藤田五郎と名を改め、警視官として明治を生きています。あなたも、居場所が変わっても腕で立てる人です。看板が消えても、できることは残ります。ただ、あなたは去り際を人に告げません。次の場所を決めたら、一言だけ伝えてから動くと縁が切れません。
あなたの持ち味
- ・人より先に形にできる
- ・任せた仕事の出来が安定する
気をつけたい場面
- ・早く出しすぎて引き返す
- ・決まるまで動けず先を越される
あなたに近い人
永倉新八
ながくら しんぱち
辛抱
新選組新選組 二番隊組長池田屋に斬り込み、局長を諫める建白書まで出した男。大正まで生き、隊の記憶を書き残した。
1839 — 1915★059 / 153桐野利秋
きりの としあき
果断
人斬り半次郎薩摩藩陸軍少将中村半次郎の名で幕末を斬り抜け、明治には陸軍少将となった。最後は西郷とともに城山で果てた。
? — 1877★024 / 153原田左之助
はらだ さのすけ
胆力
新選組新選組 十番隊組長中間から身を起こし、槍を得物として十番隊を率いた。腹の傷の逸話と、生存説がいまも語られる。
1840 — 1868◆060 / 153佐々木只三郎
ささき たださぶろう
練達
京都見廻組京都見廻組 与頭小太刀日本一と称された剣客。近江屋の龍馬・中岡を襲った実行者とされ、鳥羽伏見の傷がもとで没した。
1833 — 1868◆067 / 153榊原鍵吉
さかきばら けんきち
胆力
最後の剣客直心影流撃剣興行 創始廃刀令で剣術が滅びかけた明治初期、見世物にすることで剣を食える仕事に変えた。兜割りで知られる。
1830 — 1894◆128 / 153加納鷲雄
かのう わしお
天運
新選組 → 御陵衛士御陵衛士近藤勇の襲撃に加わり、板橋の首実検では偽名を使う元上官をひと目で見分けた。維新後は札幌へ渡る。
1839 — 1902●102 / 153
あなたと対照的な人
堀田正睦
ほった まさよし
知略
幕府老中首座蘭学を奨めて佐倉を学問の地にした老中。条約の勅許を求めて上洛し、天皇に拒まれる瞬間に立ち会った。
1810 — 1864●050 / 153横井小楠
よこい しょうなん
知略
熊本藩福井藩 政治顧問開国と公議の思想を説き、勝海舟や坂本龍馬に強い影響を与えた。明治初年、京で暗殺された。
1809 — 1869★120 / 153板倉勝静
いたくら かつきよ
知略
備中松山藩最後の老中首座松平定信の孫として生まれ、山田方谷を用いて藩を建て直した。大政奉還に立ち会い、箱館まで戦い抜く。
1823 — 1889●052 / 153高島秋帆
たかしま しゅうはん
知略
長崎砲術家アヘン戦争の報に驚き、日本で初めて西洋式の砲術演習を行った。政敵の嫌疑で十年以上幽閉される。
1798 — 1866●135 / 153山本覚馬
やまもと かくま
知略
会津藩会津藩 砲術師範砲術師範でありながら失明し、幽閉先で新国家の構想を書いた。釈放後は京都の近代化を主導する。
1828 — 1892◆108 / 153佐久間象山
さくま しょうざん
知略
松代藩兵学者・思想家東洋道徳、西洋芸術
『省諐録』
西洋の技術を取り込むことを説き、勝海舟や吉田松陰を育てた。傲岸と評され、京で斬られて果てた。
1811 — 1864★121 / 153
斎藤一が実際に何をした人か
会津が落ちる最後まで残った左利きの剣客。藤田五郎と名を改め、警視官として明治を生き抜いた。
※ 人物の姿は、浮世絵の表現をもとにした創作です。8つの軸の数値も診断用の見立てです。実在した人物の能力や、史実上の評価を示すものではありません。


