幕末偉人診断
あなたが似ている幕末の偉人は
河合耆三郎
1838 — 1866
持ち味は知略
頼まれごとを受けると、あなたはまず全体の順番を組み立てます。どこで詰まるかを先に潰しておくので、途中で慌てることが少なく、任せる側も見通しが立ちます。ただ、筋が通るまで動き出さないので、その間に別の人が先へ進んでしまうことがあります。粗いまま走り出せる人と組むと、あなたの段取りが実際に使われます。
胆力もあわせ持つ
胆力もあわせ持っているので、言いにくいことを人より先に口にできます。誰も切り出さないまま止まっていた話を、あなたの一言が動かしてきたはずです。そのぶん、いったん言い切ってしまうと引っこめにくくなります。前と違うことを言ってもいいと言ってくれる相手が近くにいると、身動きが取りやすくなります。
大義は不得手
理想を掲げて人を動かすのは、あなたの持ち場ではありません。目の前のことを一つずつ片づけるほうが性に合っていて、実際それで積み上げてきました。そのかわり、なぜこれをやっているのかと聞かれると答えに詰まり、続ける気が細る時期が来ます。小さくていいので、自分だけの目当てを1つ置いておくと途切れません。
河合耆三郎に重なるところ
河合耆三郎は米問屋の子として隊の金を預かりました。実家からの送金が間に合わず、切腹させられたと伝わります。あなたも、数字を任される人です。細かいところまで合わせないと気が済みません。ただ、金を預かる立場は、少しの遅れが不正に見えます。間に合わないと分かった時点で先に言っておくと、身を守れます。
あなたの持ち味
- ・段取りを組んでから動ける
- ・誰も引き受けない役を引き受けられる
気をつけたい場面
- ・決まるまで動けず先を越される
- ・話の通じない人に見られる
あなたに近い人
家里次郎
いえさと つぐお
知略
壬生浪士組取りまとめ役結成期の責任者を任されながら主導権争いのなかで孤立し、出奔した先の大坂で切腹させられた。
1839 — 1863●096 / 153殿内義雄
とのうち よしお
胆力
壬生浪士組筆頭格幕府の信用で浪士の筆頭格となりながら、四条大橋で闇討ちに遭った。隊で最初の粛清とされる。
1830 — 1863●095 / 153徳川家慶
とくがわ いえよし
天運
徳川将軍家第十二代 征夷大将軍天保の改革を水野忠邦に委ね、阿部正弘を抜擢した将軍。黒船来航のわずか十九日後に世を去っている。
1793 — 1853●040 / 153徳川家定
とくがわ いえさだ
天運
徳川将軍家第十三代 征夷大将軍篤姫の夫であり、将軍継嗣問題の渦中に置かれた将軍。病弱と噂されたまま、井伊直弼を大老に据えて没す。
1824 — 1858●039 / 153武田観柳斎
たけだ かんりゅうさい
知略
新選組五番隊組長・軍事方甲州流軍学を武器に軍事方まで上がった学者肌の隊士。時勢の兵制に置いていかれ、脱退後に斬られた。
? — 1867◆071 / 153野口健司
のぐち けんじ
胆力
新選組副長助勤水戸派でありながら暗殺の夜を生き延びた。それでも三か月後、理由の分からぬまま切腹を命じられる。
1843 — 1864●093 / 153
あなたと対照的な人
新島八重
にいじま やえ
大義
会津藩鶴ヶ城 籠城銃を手に鶴ヶ城へ籠もった会津の娘。のちに新島襄と結婚して同志社を支え、看護婦として二つの戦に従った。
1845 — 1932★109 / 153坂本龍馬
さかもと りょうま
天運
土佐藩 (脱藩)海援隊 隊長日本を今一度せんたくいたし申候
文久三年六月二十九日 姉・乙女宛書簡
藩を捨てて海に出た男。犬猿だった薩摩と長州を結び、船で商いをしながら国の形を描き替えようとした。
1836 — 1867★★027 / 153男谷信友
おだに のぶとも
練達
幕臣直心影流・講武所 剣術師範役試合を一度も断らず、勝っても一本は相手に花を持たせたと伝わる達人。竹刀の寸法を統一した人でもある。
1798 — 1864★126 / 153板垣退助
いたがき たいすけ
度量
土佐藩自由党 総理板垣死すとも自由は死せず
岐阜遭難の際の言葉として伝わる (本人の発言かは諸説)
戊辰を戦った藩士から、自由民権運動の旗頭へ。刀ではなく言論で世を動かす側へ回った稀な人物。
1837 — 1919★032 / 153山岡鉄舟
やまおか てっしゅう
辛抱
幕臣幕末三舟・無刀流 開祖晴れてよし曇りてもよし富士の山
辞世と伝わる
敵軍の陣中へ単身乗り込み、西郷から慶喜の助命を引き出した。剣禅一致を説き、無刀流を開いた大兵。
1836 — 1888★043 / 153土方歳三
ひじかた としぞう
辛抱
鬼の副長新選組新選組 副長たとえ身は蝦夷の島根に朽ちぬとも魂は東の君やまもらん
辞世と伝わる
薬売りから剣客集団の副長へ。苛烈な法度で新選組を統べ、幕府が消えたあとも函館まで戦い続けた。
1835 — 1869★056 / 153
河合耆三郎が実際に何をした人か
富裕な米問屋の子として金を預かった隊士。実家からの金が間に合わず、切腹させられたと伝わる。
※ 人物の姿は、浮世絵の表現をもとにした創作です。8つの軸の数値も診断用の見立てです。実在した人物の能力や、史実上の評価を示すものではありません。


