幕末偉人診断
あなたが似ている幕末の偉人は
家里次郎
1839 — 1863
持ち味は知略
頼まれごとを受けると、あなたはまず全体の順番を組み立てます。どこで詰まるかを先に潰しておくので、途中で慌てることが少なく、任せる側も見通しが立ちます。ただ、筋が通るまで動き出さないので、その間に別の人が先へ進んでしまうことがあります。粗いまま走り出せる人と組むと、あなたの段取りが実際に使われます。
胆力もあわせ持つ
胆力もあわせ持っているので、言いにくいことを人より先に口にできます。誰も切り出さないまま止まっていた話を、あなたの一言が動かしてきたはずです。そのぶん、いったん言い切ってしまうと引っこめにくくなります。前と違うことを言ってもいいと言ってくれる相手が近くにいると、身動きが取りやすくなります。
大義は不得手
理想を掲げて人を動かすのは、あなたの持ち場ではありません。目の前のことを一つずつ片づけるほうが性に合っていて、実際それで積み上げてきました。そのかわり、なぜこれをやっているのかと聞かれると答えに詰まり、続ける気が細る時期が来ます。小さくていいので、自分だけの目当てを1つ置いておくと途切れません。
家里次郎に重なるところ
家里次郎は結成の時期に責任者を任されながら、主導権の争いのなかで孤立しました。出奔した先の大坂で切腹させられています。あなたも、立ち上げの混乱を引き受けられる人です。決まっていない場を動かせます。ただ、始まりの功労者ほど途中で外されます。役割を引き受けるときは、後ろ盾も一緒に確保してください。
あなたの持ち味
- ・段取りを組んでから動ける
- ・誰も引き受けない役を引き受けられる
気をつけたい場面
- ・決まるまで動けず先を越される
- ・話の通じない人に見られる
あなたに近い人
殿内義雄
とのうち よしお
胆力
壬生浪士組筆頭格幕府の信用で浪士の筆頭格となりながら、四条大橋で闇討ちに遭った。隊で最初の粛清とされる。
1830 — 1863●095 / 153河合耆三郎
かわい きさぶろう
知略
新選組勘定方富裕な米問屋の子として金を預かった隊士。実家からの金が間に合わず、切腹させられたと伝わる。
1838 — 1866●077 / 153武田観柳斎
たけだ かんりゅうさい
知略
新選組五番隊組長・軍事方甲州流軍学を武器に軍事方まで上がった学者肌の隊士。時勢の兵制に置いていかれ、脱退後に斬られた。
? — 1867◆071 / 153野口健司
のぐち けんじ
胆力
新選組副長助勤水戸派でありながら暗殺の夜を生き延びた。それでも三か月後、理由の分からぬまま切腹を命じられる。
1843 — 1864●093 / 153新見錦
にいみ にしき
胆力
壬生浪士組局長近藤・芹沢と並ぶ局長だったとされながら、活動の記録がほとんど残らない。切腹の日付すら定まらない。
1836 — 1863●090 / 153佐伯又三郎
さえき またさぶろう
果断
壬生浪士組副長助勤斎藤一とともに加わり副長助勤まで進みながら、島原で殺された。長州の間者だったとする説がある。
? — 1863●094 / 153
あなたと対照的な人
新島八重
にいじま やえ
大義
会津藩鶴ヶ城 籠城銃を手に鶴ヶ城へ籠もった会津の娘。のちに新島襄と結婚して同志社を支え、看護婦として二つの戦に従った。
1845 — 1932★109 / 153板垣退助
いたがき たいすけ
度量
土佐藩自由党 総理板垣死すとも自由は死せず
岐阜遭難の際の言葉として伝わる (本人の発言かは諸説)
戊辰を戦った藩士から、自由民権運動の旗頭へ。刀ではなく言論で世を動かす側へ回った稀な人物。
1837 — 1919★032 / 153坂本龍馬
さかもと りょうま
天運
土佐藩 (脱藩)海援隊 隊長日本を今一度せんたくいたし申候
文久三年六月二十九日 姉・乙女宛書簡
藩を捨てて海に出た男。犬猿だった薩摩と長州を結び、船で商いをしながら国の形を描き替えようとした。
1836 — 1867★★027 / 153山岡鉄舟
やまおか てっしゅう
辛抱
幕臣幕末三舟・無刀流 開祖晴れてよし曇りてもよし富士の山
辞世と伝わる
敵軍の陣中へ単身乗り込み、西郷から慶喜の助命を引き出した。剣禅一致を説き、無刀流を開いた大兵。
1836 — 1888★043 / 153マシュー・ペリー
ましゅー ぺりー
度量
アメリカ 海軍東インド艦隊 司令長官四隻の黒船を率いて浦賀に現れ、二百年の眠りを叩き起こした提督。翌年ふたたび来て条約を結ばせた。
1794 — 1858★★150 / 153葛飾北斎
かつしか ほくさい
練達
画狂老人江戸浮世絵師あと五年の命があれば、真正の画工となり得たに
臨終の言葉と伝わる
九十年の生涯で号を変え続け、波と富士で世界を驚かせた。死の床でなお「あと少し生きられれば」と言った。
1760 — 1849★★140 / 153
家里次郎が実際に何をした人か
結成期の責任者を任されながら主導権争いのなかで孤立し、出奔した先の大坂で切腹させられた。
※ 人物の姿は、浮世絵の表現をもとにした創作です。8つの軸の数値も診断用の見立てです。実在した人物の能力や、史実上の評価を示すものではありません。


