幕末の偉人

大浦慶とは?日本茶の輸出を開いた長崎の女性商人

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大浦慶とは?日本茶の輸出を開いた長崎の女性商人
大浦慶 肖像 / 出典: Wikimedia Commons Public domain

日本茶が世界へ出ていく道を開いたのは、長崎の女性商人でした。大浦慶。開港より前に、茶の見本を海外へ送っています。

目次

大浦慶とは何をした人か

慶は、長崎の商人です。日本茶の輸出を開拓した人物として知られます。

その仕事は二つに集約されます。

第一に、開港前に日本茶の見本を海外へ送ったこと。 嘉永年間(1850 年代前半)、出島のオランダ人に茶の見本を託して海外へ送らせました。産業としての販路がないところに、自分から売り込んだわけです。

第二に、大量注文を成立させたこと。 その見本がきっかけで、イギリス商人から大口の注文が入ります。慶は九州各地から茶をかき集めて出荷しました。

日本茶は、これ以降、生糸に次ぐ主要な輸出品として伸びていきます。

文政 11 年(1828 年)に生まれ、明治 17 年(1884 年)に没しました。

大浦慶の生い立ちと油商の娘という出自

慶は、長崎の油商の家に生まれました。

武家ではありません。商家です。そして女性です。当時、女性が自分の名義で大きな商いをすることは一般的ではありませんでした。

しかし長崎は、オランダと中国との公認貿易を担う主要な窓口でした。近世日本には長崎口・対馬口・薩摩口・松前口の「四つの口」がありましたが、そのなかで長崎は出島にオランダ商館を持ち、唐人屋敷を持ち、通訳と商人が行き交う町でした。

情報が入ってくる町であり、外国人と話ができる町です。慶はその環境で育ちました。

大浦慶が販路のないまま茶の見本を送った話

慶がやったことは、順番が逆でした。

普通は、注文を受けてから商品を用意します。慶は、注文がないうちに商品の見本を送りました。

嘉永年間、彼女は出島のオランダ人に日本茶の見本を託し、海外へ送ってもらいました。

当時、日本茶はまとまった輸出品ではありません。1610 年に平戸から欧州へ送られた記録はありますが、産業として成立していたわけではなく、海外での需要も読めません。それでも慶は「売れるかもしれない」と考えて、見本を出したわけです。

開港前です。日米和親条約が結ばれるかどうかという時期で、貿易の制度そのものが整っていません。

大浦慶とイギリスからの大口注文

安政 3 年(1856 年)ごろ、その見本が実を結びます。

イギリス商人オルトから、大量の茶の注文が入ったのです。

問題は、量でした。慶の手元に、その量の茶はありません。長崎周辺だけでも足りません。

彼女は九州各地を回って茶をかき集めました。産地と交渉し、品質を揃え、船積みできる形にまとめる。取引の規模に、供給を後から合わせたわけです。

この一件で、日本茶の近代的な大量輸出が始まりました。「史上初の輸出」ではなく、産業としての輸出を開拓したという位置づけです。受注は 1856 年ごろ、引き渡しは 1859 年とされます。

以後、日本茶は生糸に次ぐ輸出品として伸びていきます。横浜や長崎から、茶が世界へ出ていくようになります。

その最初の一歩を、注文のない見本から始めたことになります。

大浦慶が生きた幕末の長崎

慶の周りには、当時の長崎に集まっていた人々がいました。

トーマス・グラバーが武器と艦船を扱い、坂本龍馬の亀山社中が交渉に来て、楠本イネが医学を学んでいた——長崎は、日本で最も情報が濃い町でした。

慶は志士たちを支援したとも伝えられます。ただしその関わりの具体的な中身については、伝承の色が濃い部分です。

確実なのは、彼女が商人として日本茶の販路を開いたことです。

大浦慶の晩年と最期

慶の後半生は、順調ではありませんでした。

訴訟に巻き込まれ、財産を失っています。取引をめぐる紛争で、大きな損失を負ったと伝えられます。

文政 11 年 6 月 19 日——西暦 1828 年 7 月 30 日に生まれ、明治 17 年(1884 年)4 月 13 日に没しました。満 55 歳です。

長崎では、日本茶輸出の先駆者として顕彰されています。

開港前に見本を送った判断が、日本の輸出品目を一つ増やしたことになります。

大浦慶の年表

出来事
1828 年 7 月 30 日長崎の油商の家に生まれる
1850 年代前半出島のオランダ人に日本茶の見本を託し、海外へ送らせる
1856 年ごろイギリス商人オルトから大量注文を受ける。引き渡しは 1859 年とされる
幕末日本茶が生糸に次ぐ輸出品として伸びる
明治期訴訟に巻き込まれ財産を失う
1884 年 4 月 13 日没。満 55 歳

同じ長崎の同時代人はトーマス・グラバー楠本イネ、貿易の場は横浜居留地で扱っています。

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