幕末の偉人

松平容保とは?会津藩主が背負った京都守護職と悲劇を解説

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松平容保とは?会津藩主が背負った京都守護職と悲劇を解説
松平容保 肖像画 / 出典: Wikimedia Commons Public domain

引き受けたことで、藩を滅ぼすことになった役職があります。京都守護職。それを担ったのが、会津藩主・松平容保でした。

目次

松平容保とは何をした人か

容保の生涯は、一つの役職を軸に回っています。京都守護職です。

幕府から、荒れる京都の治安維持を任された。 そのために尊王攘夷派の志士たちを取り締まり、新選組を配下に置きました。

結果として、志士たちの恨みを一身に集めた。 そして戊辰戦争では、会津は朝敵とされ、攻め滅ぼされます。

忠義を尽くしたことが、藩の破滅を招いた。 これが容保の悲劇です。

天保 6 年(1836 年)、美濃高須藩の家に生まれ、養子として会津藩主・松平家を継ぎました。

会津の家訓

容保を理解するには、会津藩の家訓を知る必要があります。

会津藩の初代・保科正之は、徳川将軍家の血筋を引く人物でした。その正之が定めた家訓の第一条は、徳川将軍家に一心に忠義を尽くせ、他藩の例をもって自らを律してはならないという趣旨のものです。

会津藩は、この家訓を 200 年以上守ってきました。幕府への忠義が、藩の存在理由そのものだったのです。

この背景が、容保の選択を決定づけます。

京都守護職を引き受ける

文久 2 年(1862 年)、幕府は容保に京都守護職への就任を求めます。

当時の京都は、尊王攘夷を唱える志士たちが集まり、治安が崩壊していました。天誅と称する暗殺が横行し、幕府の手に負えなくなっていたのです。

これを会津の兵力で鎮めよ、というのが幕府の求めでした。

容保も、家臣たちも、当初は反対でした。 京都に藩の力を注ぎ込めば財政は破綻し、各方面の恨みを買う。家老の西郷頼母は、繰り返し反対を唱えています。

しかし、会津の家訓が断ることを許しませんでした。徳川家への忠義を第一とする藩が、幕府の求めを拒むことはできない。容保は引き受けます。

そして頼母が懸念したとおりのことが、そのまま起きていきました。

孝明天皇の信任

京都で容保が得たものが一つあります。孝明天皇からの厚い信任です。

孝明天皇は、急進的な攘夷や倒幕には否定的で、幕府との協調を望んでいました。京都の秩序を守る容保を、天皇は深く信頼します。文久 3 年(1863 年)、天皇は容保に宸翰(天皇直筆の手紙)と御製(天皇の和歌)を下賜しました。容保はこれを生涯大切にします。

「自分は天皇に忠義を尽くしている」という確信が、容保にはありました。これがのちに、彼を苦しめます。

朝敵となる

慶応 2 年 12 月(西暦では 1867 年 1 月)、孝明天皇が急逝します。容保にとって最大の後ろ盾を失ったことになります。

その翌年、鳥羽伏見の戦いが起こり、旧幕府軍が敗れました。このとき、新政府軍は錦の御旗を掲げます。会津は「朝敵」とされました。

天皇に忠義を尽くしてきたはずの容保が、天皇の敵として攻められる立場になったのです。孝明天皇の死によって朝廷での後ろ盾を失い、その後に朝敵とされたことになります。

会津戦争

慶応 4 年(1868 年)、新政府軍が会津へ攻め込みます。会津戦争です。

会津は恭順の意を示しましたが受け入れられず、抗戦に入ります。鶴ヶ城に籠城し、白虎隊の悲劇、中野竹子ら女性の戦い、西郷頼母一族の自刃――多くの悲劇が生まれました。

約一か月の籠城の末、会津は降伏します。藩は解体され、旧藩士たちは北の斗南へ移されました

容保の忠義が招いた結末を、藩全体が背負ったことになります。

晩年

降伏後、容保は幽閉されますが、死罪は免れました。

明治になってからの容保は、日光東照宮の宮司を務めます。徳川家康をまつる神社です。徳川に忠義を尽くした男が、最後は徳川家康に仕える宮司になったわけです。

明治 26 年(1893 年)、容保は死去します。満 57 歳でした。

孝明天皇から下されたこの宸翰を、容保は竹筒に入れて肌身離さず持っていたとされ、その後も大切に守られました。朝敵とされた男が、天皇の信任の証を生涯手放さなかった――この一点に、容保の生涯が凝縮されています。

松平容保の年表

出来事
1836 年美濃高須藩に生まれ、のち会津藩主・松平家を継ぐ
1862 年京都守護職に就任
1863〜64 年新選組を配下に置き、京都の治安維持にあたる
1867 年 1 月孝明天皇が急逝(慶応 2 年 12 月)
1868 年鳥羽伏見の敗戦後、朝敵とされる。会津戦争で降伏
明治期日光東照宮の宮司を務める
1893 年死去。満 57 歳

会津の戦いは会津藩、京都守護職に反対した家老は西郷頼母で扱っています。

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