幕末の文化

長崎海軍伝習所とは?誰が何を学び、なぜ 4 年で閉じたのか

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長崎海軍伝習所とは?誰が何を学び、なぜ 4 年で閉じたのか
咸臨丸(鈴藤勇次郎, c.1860) / 出典: Wikimedia Commons PD-old

長崎海軍伝習所は、日本の近代海軍が始まった場所です。開設から閉鎖まで、わずか四年でした。

目次

長崎海軍伝習所とは

長崎海軍伝習所とは、安政 2 年(1855 年)に江戸幕府が長崎に開いた、洋式海軍の教育機関です。

項目内容
開設安政 2 年(1855 年)
場所長崎・西役所(現在の長崎県庁周辺)
教官オランダ海軍の士官団(ペルス・ライケン、のちカッテンディーケら)
練習艦観光丸(オランダから贈られたスームビング号)
伝習生幕臣と、佐賀・薩摩・福岡など諸藩からの派遣者
学んだこと航海術、砲術、造船、測量、機関、蘭語
閉鎖安政 6 年(1859 年)

注目すべきは、幕臣だけの学校ではなかったことです。諸藩からの伝習生を受け入れたため、ここで学んだ人材が幕府側にも新政府側にも散りました。

なぜ開かれたのか

理由は黒船来航です。

お台場のような砲台をいくら築いても、動く艦隊には追いつきません。 海防を成り立たせるには、自前で軍艦を動かせる人間が要る——この結論に幕府が達したのが、伝習所の出発点でした。

問題は、動かし方を知っている日本人が一人もいなかったことです。そこで、通商のあったオランダに教官の派遣を依頼しました。

オランダは教官団とともに、練習艦としてスームビング号を贈ります。これが観光丸と改名され、日本初の実用蒸気軍艦となりました。

誰が学んだのか

伝習生の顔ぶれが、この学校の意味を物語ります。

  • 勝海舟——第一期の伝習生で、監督役も務めました。のちに咸臨丸で太平洋を渡り、江戸城無血開城を実現します
  • 榎本武揚——のちオランダへ留学し、戊辰戦争では旧幕府艦隊を率いて五稜郭へ渡りました
  • 五代友厚——薩摩から派遣され、のちに大阪経済界を築きます
  • 佐賀藩からも伝習生が送られ、鍋島直正の海軍・工業政策につながりました

幕府方の榎本と、新政府方の五代が、同じ教室にいたわけです。維新の両陣営に技術者が散っていたことは、戦後の日本が短期間で近代化できた理由のひとつでもあります。

何を学んだのか

授業はオランダ語で行われ、通詞(通訳)を介しました。

内容は航海術・測量・砲術・造船・機関と広く、机上だけではありません。観光丸で実際に海へ出る実習が行われ、長崎から各地へ航海しています。

とくに大きかったのは、「船を動かすには組織が要る」と分かったことです。艦長がいて、士官がいて、機関を担当する者がいる。身分ではなく役割で人を配置するという発想は、当時の日本の軍制にはないものでした。

勝海舟がのちに海軍の建設と幕政改革を語るとき、その骨格はここで得たものです。

なぜ 4 年で閉鎖されたのか

安政 6 年(1859 年)、伝習所は閉じられます。失敗したからではありません。

理由は次のとおりです。

  • 江戸に軍艦操練所が置かれ、教育の重心が移った。 長崎は遠く、幕府の中枢から離れています
  • オランダ人教官の任期が終わった
  • 一定の人材が育ち、次の段階(実艦の運用と留学)へ進んだ

伝習所で学んだ人々は、咸臨丸の太平洋横断(1860 年)や、榎本武揚らのオランダ留学へ進みます。四年で閉じた学校が、その後の日本海軍の人的な骨格を作ったことになります。

長崎海軍伝習所の年表

出来事
1853 年黒船来航。海防が急務となる
1855 年長崎海軍伝習所が開設。オランダが練習艦スームビング号(観光丸)を贈る
1855〜59 年勝海舟榎本武揚五代友厚らが学ぶ
1857 年江戸に軍艦操練所が開かれる。オランダから咸臨丸が到着
1859 年伝習所を閉鎖。教育の重心が江戸へ移る
1860 年咸臨丸が太平洋を横断する

よくある質問

長崎海軍伝習所とは何ですか。

1855 年に江戸幕府が長崎に開いた、日本初の洋式海軍の教育機関です。オランダ海軍の士官が教官を務めました。

誰が学んだのですか。

勝海舟榎本武揚五代友厚ら、幕臣と諸藩からの伝習生です。

何を学んだのですか。

航海術・測量・砲術・造船・機関などです。練習艦の観光丸で実際に航海する実習もありました。

なぜ 4 年で閉鎖されたのですか。

江戸に軍艦操練所が置かれて教育の重心が移り、オランダ人教官の任期も終わったためです。失敗による閉鎖ではありません。

咸臨丸とはどういう関係ですか。

伝習所で学んだ人々が、1860 年の咸臨丸による太平洋横断を担いました。咸臨丸自体はオランダで建造され、1857 年に日本へ到着した軍艦です。

海防の前段はお台場、中心人物は勝海舟榎本武揚の記事をご覧ください。

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