長崎海軍伝習所 — 洋式海軍の第一歩を踏み出した学びの場

黒船来航は、海に囲まれた日本に、近代的な海軍の必要性を痛感させた。その課題に応えるため幕府が開いたのが、長崎の海軍伝習所である。ここは、日本の洋式海軍が産声を上げた場所だった。
目次
海防の危機から
蒸気で動く巨大な軍艦を前に、それまでの日本の海の備えがいかに心もとないかが、誰の目にも明らかになった。海から迫る脅威に対し、近代的な艦船とそれを操る人材が、急いで必要とされた。
そこで幕府は、すでに交易のあったオランダの協力を得て、長崎に海軍の教育機関を設けた。一八五五年に開かれたこの伝習所は、西洋の海軍技術を組織的に学ぶ、画期的な試みだった。
オランダ人教官のもとで
伝習所では、オランダ人の教官が指導にあたった。航海術や砲術、船の操縦や造船など、海軍に必要な幅広い知識と技術が教えられた。
ここで学んだ者のなかには、後に江戸無血開城を導く勝海舟もいた。西洋の海軍を一から学んだ経験は、彼の後年の活動を支える大きな土台となった。
咸臨丸の太平洋横断
伝習所での学びの成果は、やがてかたちとなって表れる。一八六〇年、幕府の遣米使節に随行する咸臨丸が、勝海舟ら日本人乗組員の手によって太平洋を横断した。
使節の本隊はアメリカの軍艦に乗って渡米したが、それとは別に、咸臨丸が日本人の手で大洋を越えてみせたことには大きな意味があった。洋式海軍の育成が、着実に実を結びつつあることを示す出来事だったのである。
近代海軍への道
長崎海軍伝習所そのものは、数年で役割を終えた。しかし、ここで育った人材と蓄積された知識は、その後の日本の海軍へと受け継がれていく。
お台場の築造とともに、伝習所の開設は、黒船の衝撃に対する日本の真剣な応答だった。海の守りを近代化しようとする努力は、ここから始まったのである。
海防と近代化の歩みは、幕末の文化の各記事で掘り下げています。
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