幕末の文化

幕末の写真とは?湿板写真と上野彦馬をわかりやすく解説

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幕末の写真とは?湿板写真と上野彦馬をわかりやすく解説
幕末の湿板写真(上野彦馬 撮影, 1863) / 出典: Wikimedia Commons PD-Japan-oldphoto

幕末は、日本人の顔が写真で残り始めた最初の時代です。坂本龍馬の立ち姿も土方歳三の洋装も、この技術のおかげで今日まで届いています。

目次

幕末の写真とは

幕末に日本で撮られた写真は、湿板写真(コロジオン法)が主流でした。

項目内容
技術湿板(コロジオン)法。ガラス板に感光乳剤を塗って撮る
特徴乳剤が濡れているうちに撮影・現像する必要がある
露光時間数秒〜十数秒。動くとぶれる
撮影の場写真師の館(撮影局)。屋外へは機材一式を運ぶ必要があった
日本での普及文久年間(1860 年代前半)から各地に撮影局が開かれる

濡れているうちに」という制約が決定的でした。暗室を現場に持ち込まなければならず、写真師は簡単には動けません。 幕末の写真の多くが撮影局のスタジオで撮られているのは、この理由によります。

動けない、待たされる、笑えない。 幕末の肖像写真が一様に硬い表情なのは、性格ではなく露光時間の問題です。

誰が日本に写真を持ち込んだのか

技術の到来。 銀板写真(ダゲレオタイプ)の機材は、嘉永年間には日本へ入っていました。薩摩の島津斉彬は蘭学の応用として写真に関心を持ち、自身の肖像が撮影されています。 これは日本人が撮影した現存最古級の写真として知られます。

二人の先駆者。 幕末の写真を語るときに必ず出てくるのが、この二人です。

  • 上野彦馬(長崎)——蘭学と化学を修め、文久 2 年(1862 年)に長崎で撮影局を開きました。坂本龍馬の有名な肖像は、この撮影局で撮られたものとされます
  • 下岡蓮杖(横浜)——絵師から写真へ転じ、同じころ横浜で開業しました。開港場の横浜で外国人写真師から技術を学んだ系統です

長崎と横浜。どちらも開港場です。写真が最初に根づいた土地は、西洋の技術が入る窓口とぴったり重なっています。

外国人写真師では、横浜を拠点にしたフェリーチェ・ベアトが幕末の日本の風景や人物を多数撮影し、その画像が海外へ紹介されました。

なぜ志士の写真が残っているのか

理由は二つあります。

第一に、撮影局が各地の開港場と都市にできたこと。 江戸・京都・大坂・長崎・横浜と広がり、志士たちが移動する先々に写真師がいました。

第二に、写真が「記念」の道具として受け入れられたこと。 家族へ送る、同志と写る、出立の前に残す。死ぬかもしれない人間が、自分の姿を残す手段を初めて持ったわけです。

一方で、「写真を撮ると寿命が縮む」という俗説も広まりました。技術への不安が形を取ったもので、写真師はこれに悩まされたと伝わります。

写真が残っていない人物

西郷隆盛には、本人と確定できる写真がありません。

肖像画や銅像で知られる顔は、弟の西郷従道といとこの大山巌の写真を参考に、イタリア人画家キヨッソーネが描いたものです。これが元になっています。つまり「本人を見ずに作られた顔」が広まりました。

同じように、沖田総司山南敬助本人と確定した写真がありません。 世に出回る「◯◯の写真」には、別人説や検証待ちのものが少なくありません。

幕末は「写真がある人」と「ない人」がはっきり分かれた最初の時代であり、そのことが人物のイメージの残り方まで決めてしまいました。

幕末の写真の年表

出来事
1839 年ダゲレオタイプ(銀板写真)がフランスで公表される
1840 年代後半銀板写真の機材が日本へ入る
1850 年代島津斉彬の肖像が撮影される
1859 年横浜開港。外国人写真師が来日する
1862 年上野彦馬が長崎、下岡蓮杖が横浜で撮影局を開く
1860 年代志士・幕臣の肖像が各地の撮影局で撮られる
明治以降写真が普及し、肖像画に代わる記録手段になる

よくある質問

幕末の写真はどんな技術で撮られたのですか。

湿板(コロジオン)法です。ガラス板に塗った乳剤が濡れているうちに撮影・現像する必要がありました。

なぜ幕末の写真の人はみな真顔なのですか。

露光に数秒から十数秒かかり、その間じっとしていなければならなかったためです。

坂本龍馬の写真は誰が撮ったのですか。

長崎の上野彦馬の撮影局で撮られたものとされます。

上野彦馬と下岡蓮杖の違いは何ですか。

上野彦馬は長崎で蘭学・化学から写真に入り、下岡蓮杖は横浜で絵師から転身しました。どちらも 1862 年ごろの開業です。

西郷隆盛の写真はなぜないのですか。

本人と確定できる写真が残っていないためです。知られる肖像は、弟らの写真をもとに画家が描いたものが元になっています。

写真に残った人物は坂本龍馬土方歳三、残らなかった人物は西郷隆盛沖田総司の記事をご覧ください。

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