幕末の写真とは?湿板写真と上野彦馬をわかりやすく解説

幕末は、日本人の顔が写真で残り始めた最初の時代です。坂本龍馬の立ち姿も土方歳三の洋装も、この技術のおかげで今日まで届いています。
目次
幕末の写真とは
幕末に日本で撮られた写真は、湿板写真(コロジオン法)が主流でした。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 技術 | 湿板(コロジオン)法。ガラス板に感光乳剤を塗って撮る |
| 特徴 | 乳剤が濡れているうちに撮影・現像する必要がある |
| 露光時間 | 数秒〜十数秒。動くとぶれる |
| 撮影の場 | 写真師の館(撮影局)。屋外へは機材一式を運ぶ必要があった |
| 日本での普及 | 文久年間(1860 年代前半)から各地に撮影局が開かれる |
「濡れているうちに」という制約が決定的でした。暗室を現場に持ち込まなければならず、写真師は簡単には動けません。 幕末の写真の多くが撮影局のスタジオで撮られているのは、この理由によります。
動けない、待たされる、笑えない。 幕末の肖像写真が一様に硬い表情なのは、性格ではなく露光時間の問題です。
誰が日本に写真を持ち込んだのか
技術の到来。 銀板写真(ダゲレオタイプ)の機材は、嘉永年間には日本へ入っていました。薩摩の島津斉彬は蘭学の応用として写真に関心を持ち、自身の肖像が撮影されています。 これは日本人が撮影した現存最古級の写真として知られます。
二人の先駆者。 幕末の写真を語るときに必ず出てくるのが、この二人です。
- 上野彦馬(長崎)——蘭学と化学を修め、文久 2 年(1862 年)に長崎で撮影局を開きました。坂本龍馬の有名な肖像は、この撮影局で撮られたものとされます
- 下岡蓮杖(横浜)——絵師から写真へ転じ、同じころ横浜で開業しました。開港場の横浜で外国人写真師から技術を学んだ系統です
長崎と横浜。どちらも開港場です。写真が最初に根づいた土地は、西洋の技術が入る窓口とぴったり重なっています。
外国人写真師では、横浜を拠点にしたフェリーチェ・ベアトが幕末の日本の風景や人物を多数撮影し、その画像が海外へ紹介されました。
なぜ志士の写真が残っているのか
理由は二つあります。
第一に、撮影局が各地の開港場と都市にできたこと。 江戸・京都・大坂・長崎・横浜と広がり、志士たちが移動する先々に写真師がいました。
第二に、写真が「記念」の道具として受け入れられたこと。 家族へ送る、同志と写る、出立の前に残す。死ぬかもしれない人間が、自分の姿を残す手段を初めて持ったわけです。
一方で、「写真を撮ると寿命が縮む」という俗説も広まりました。技術への不安が形を取ったもので、写真師はこれに悩まされたと伝わります。
写真が残っていない人物
西郷隆盛には、本人と確定できる写真がありません。
肖像画や銅像で知られる顔は、弟の西郷従道といとこの大山巌の写真を参考に、イタリア人画家キヨッソーネが描いたものです。これが元になっています。つまり「本人を見ずに作られた顔」が広まりました。
同じように、沖田総司や山南敬助も本人と確定した写真がありません。 世に出回る「◯◯の写真」には、別人説や検証待ちのものが少なくありません。
幕末は「写真がある人」と「ない人」がはっきり分かれた最初の時代であり、そのことが人物のイメージの残り方まで決めてしまいました。
幕末の写真の年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1839 年 | ダゲレオタイプ(銀板写真)がフランスで公表される |
| 1840 年代後半 | 銀板写真の機材が日本へ入る |
| 1850 年代 | 島津斉彬の肖像が撮影される |
| 1859 年 | 横浜開港。外国人写真師が来日する |
| 1862 年 | 上野彦馬が長崎、下岡蓮杖が横浜で撮影局を開く |
| 1860 年代 | 志士・幕臣の肖像が各地の撮影局で撮られる |
| 明治以降 | 写真が普及し、肖像画に代わる記録手段になる |
よくある質問
幕末の写真はどんな技術で撮られたのですか。
湿板(コロジオン)法です。ガラス板に塗った乳剤が濡れているうちに撮影・現像する必要がありました。
なぜ幕末の写真の人はみな真顔なのですか。
露光に数秒から十数秒かかり、その間じっとしていなければならなかったためです。
坂本龍馬の写真は誰が撮ったのですか。
長崎の上野彦馬の撮影局で撮られたものとされます。
上野彦馬と下岡蓮杖の違いは何ですか。
上野彦馬は長崎で蘭学・化学から写真に入り、下岡蓮杖は横浜で絵師から転身しました。どちらも 1862 年ごろの開業です。
西郷隆盛の写真はなぜないのですか。
本人と確定できる写真が残っていないためです。知られる肖像は、弟らの写真をもとに画家が描いたものが元になっています。
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