幕末の偉人

柴田是真とは?漆で鉄や陶器に見せた漆芸家の生涯と技法

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柴田是真とは?漆で鉄や陶器に見せた漆芸家の生涯と技法
柴田是真 肖像(『The Far East』1897 年より) / 出典: Wikimedia Commons Public domain

漆で鉄を描き、漆で陶器を描いた職人がいます。柴田是真。素材そのものを別の素材に見せるという仕事をした人です。

目次

柴田是真とは何をした人か

是真は、江戸後期から明治にかけての漆芸家であり、絵師です。

その仕事は三つに分けられます。

第一に、漆絵を確立したこと。 和紙の上に、漆で絵を描くという技法です。漆は本来、器物に塗るものでした。それを絵の具のように使いました。

第二に、変わり塗りを生み出したこと。 漆で鉄・青銅・陶器・古木などの質感を模す技法です。青銅塗四分一塗を創始しました。

第三に、明治の宮中と海外で評価されたこと。 明治宮殿の天井画に関わり、帝室技芸員に任じられました。海外の万博でも高く評価されています。

文化 4 年(1807 年)に江戸両国橘町で生まれ、明治 24 年(1891 年)7 月 13 日に没しました。

柴田是真の蒔絵と絵の二本立て

是真は江戸の下町、両国橘町の生まれです。

数えで十一歳のとき(1817 年)、二代・古満寛哉に蒔絵を学びました。蒔絵は、漆で描いた線に金粉を蒔いて定着させる伝統的な漆工芸です。

そして数えで十六歳のとき(1822 年)、鈴木南嶺に絵を学びます。四条派——京都の写生を重んじる画派の系統です。

この二本立てが、是真という職人を作りました。

当時、蒔絵師は職人であり、絵師は絵師でした。両方を本格的に修めた人間は多くありません。是真は「絵が描ける漆職人」であり、同時に「漆が扱える絵師」でした。

柴田是真が発明した漆絵

是真の代表的な技法が、漆絵です。

和紙の上に、漆で絵を描きます。

これは簡単なことではありません。漆は乾くと硬く、紙は薄い。紙が反り、割れ、破れる。湿度と温度で乾き方が変わり、思うようにいきません。

是真はこれを制御しました。扇面や画帖に、漆で鮮やかな絵を描くことができるようになったのです。

なぜそんな難しいことをしたのか。漆でしか出ない光沢と深みがあるからです。顔料では出ない黒、金属的な照り、厚みのある質感。是真は、絵の表現を広げるために漆を選びました。

柴田是真が漆でついた「嘘」

もう一つ、是真の名を決定づけているのが変わり塗りです。

これは、漆を使って、漆に見えないものを作る技法です。

鉄に見せる。 錆の浮いた古い鉄器のような、赤茶けたざらつきを漆で作ります。 青銅に見せる。 緑青が出た古銅のような質感を出します。これが青銅塗です。 陶器に見せる。 ひび(貫入)の入った焼物のような表面を作ります。 古木に見せる。 風雨にさらされた木肌の風合いを作ります。

手に持つと軽い。それが漆であることの証拠です。目では鉄なのに、持てば軽い——この落差が、変わり塗りの面白さでした。

素材を偽装する技術であり、同時に素材への深い理解なしにはできない仕事です。

柴田是真の作品はなぜ海外で売れたのか

明治になり、是真の作品は海外で高く評価されました。

明治 6 年(1873 年)のウィーン万国博覧会をはじめ、日本が出品した万博で是真の作は注目を集めます。欧米のコレクターが競って買ったのです。

理由は、それが「日本にしかできないもの」だったからです。西洋の工芸に、漆をこう扱う伝統はありません。技術の水準が、そのまま独自性になっていました。

現在、是真の作品は海外の美術館に多く所蔵されています。日本国内より海外のコレクションのほうが充実している、という状況が生まれました。

柴田是真と帝室技芸員

明治 21 年(1888 年)、明治宮殿が完成します。是真はその天井画の制作に関わりました。

そして明治 23 年(1890 年)、帝室技芸員の制度が始まります。皇室が優れた美術工芸家を保護する制度です。

是真は、制度の発足と同時に任命されました。

数えで八十四、江戸の下町で蒔絵を習い始めてから七十年余りが経っていました。江戸の職人が、明治の国家に「日本の技」として認定されたことになります。

翌明治 24 年(1891 年)7 月 13 日、没しました。満 84 歳です。

柴田是真の作品の見方

是真の作品を見るときの勘所は、「これは何でできているか」を疑うことです。

鉄に見える箱は漆です。焼物に見える器も漆です。紙に描いた絵に見えるものが、漆で描かれています。

幕末から明治という、日本の工芸が最も緊張していた時期に、是真は「技術で驚かせる」ことを選びました。思想や新しさではなく、手の技だけで勝負した職人です。

柴田是真の年表

出来事
1807 年江戸両国橘町に生まれる
1817 年数え 11 歳で二代・古満寛哉に蒔絵を学ぶ
1822 年数え 16 歳で鈴木南嶺に四条派の絵を学ぶ
1830〜60 年代漆絵の技法を確立。青銅塗・四分一塗などの変わり塗りを創始
1873 年ウィーン万国博覧会などで海外の評価を得る
1888 年明治宮殿の天井画制作に関わる
1890 年制度発足と同時に帝室技芸員に任命される
1891 年 7 月没。満 84 歳

同時代の絵師は歌川広重歌川国芳、幕末の絵の世界は幕末の浮世絵で扱っています。

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