柴田是真とは?漆で鉄や陶器に見せた漆芸家の生涯と技法

漆で鉄を描き、漆で陶器を描いた職人がいます。柴田是真。素材そのものを別の素材に見せるという仕事をした人です。
目次
柴田是真とは何をした人か
是真は、江戸後期から明治にかけての漆芸家であり、絵師です。
その仕事は三つに分けられます。
第一に、漆絵を確立したこと。 和紙の上に、漆で絵を描くという技法です。漆は本来、器物に塗るものでした。それを絵の具のように使いました。
第二に、変わり塗りを生み出したこと。 漆で鉄・青銅・陶器・古木などの質感を模す技法です。青銅塗や四分一塗を創始しました。
第三に、明治の宮中と海外で評価されたこと。 明治宮殿の天井画に関わり、帝室技芸員に任じられました。海外の万博でも高く評価されています。
文化 4 年(1807 年)に江戸両国橘町で生まれ、明治 24 年(1891 年)7 月 13 日に没しました。
柴田是真の蒔絵と絵の二本立て
是真は江戸の下町、両国橘町の生まれです。
数えで十一歳のとき(1817 年)、二代・古満寛哉に蒔絵を学びました。蒔絵は、漆で描いた線に金粉を蒔いて定着させる伝統的な漆工芸です。
そして数えで十六歳のとき(1822 年)、鈴木南嶺に絵を学びます。四条派——京都の写生を重んじる画派の系統です。
この二本立てが、是真という職人を作りました。
当時、蒔絵師は職人であり、絵師は絵師でした。両方を本格的に修めた人間は多くありません。是真は「絵が描ける漆職人」であり、同時に「漆が扱える絵師」でした。
柴田是真が発明した漆絵
是真の代表的な技法が、漆絵です。
和紙の上に、漆で絵を描きます。
これは簡単なことではありません。漆は乾くと硬く、紙は薄い。紙が反り、割れ、破れる。湿度と温度で乾き方が変わり、思うようにいきません。
是真はこれを制御しました。扇面や画帖に、漆で鮮やかな絵を描くことができるようになったのです。
なぜそんな難しいことをしたのか。漆でしか出ない光沢と深みがあるからです。顔料では出ない黒、金属的な照り、厚みのある質感。是真は、絵の表現を広げるために漆を選びました。
柴田是真が漆でついた「嘘」
もう一つ、是真の名を決定づけているのが変わり塗りです。
これは、漆を使って、漆に見えないものを作る技法です。
鉄に見せる。 錆の浮いた古い鉄器のような、赤茶けたざらつきを漆で作ります。 青銅に見せる。 緑青が出た古銅のような質感を出します。これが青銅塗です。 陶器に見せる。 ひび(貫入)の入った焼物のような表面を作ります。 古木に見せる。 風雨にさらされた木肌の風合いを作ります。
手に持つと軽い。それが漆であることの証拠です。目では鉄なのに、持てば軽い——この落差が、変わり塗りの面白さでした。
素材を偽装する技術であり、同時に素材への深い理解なしにはできない仕事です。
柴田是真の作品はなぜ海外で売れたのか
明治になり、是真の作品は海外で高く評価されました。
明治 6 年(1873 年)のウィーン万国博覧会をはじめ、日本が出品した万博で是真の作は注目を集めます。欧米のコレクターが競って買ったのです。
理由は、それが「日本にしかできないもの」だったからです。西洋の工芸に、漆をこう扱う伝統はありません。技術の水準が、そのまま独自性になっていました。
現在、是真の作品は海外の美術館に多く所蔵されています。日本国内より海外のコレクションのほうが充実している、という状況が生まれました。
柴田是真と帝室技芸員
明治 21 年(1888 年)、明治宮殿が完成します。是真はその天井画の制作に関わりました。
そして明治 23 年(1890 年)、帝室技芸員の制度が始まります。皇室が優れた美術工芸家を保護する制度です。
是真は、制度の発足と同時に任命されました。
数えで八十四、江戸の下町で蒔絵を習い始めてから七十年余りが経っていました。江戸の職人が、明治の国家に「日本の技」として認定されたことになります。
翌明治 24 年(1891 年)7 月 13 日、没しました。満 84 歳です。
柴田是真の作品の見方
是真の作品を見るときの勘所は、「これは何でできているか」を疑うことです。
鉄に見える箱は漆です。焼物に見える器も漆です。紙に描いた絵に見えるものが、漆で描かれています。
幕末から明治という、日本の工芸が最も緊張していた時期に、是真は「技術で驚かせる」ことを選びました。思想や新しさではなく、手の技だけで勝負した職人です。
柴田是真の年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1807 年 | 江戸両国橘町に生まれる |
| 1817 年 | 数え 11 歳で二代・古満寛哉に蒔絵を学ぶ |
| 1822 年 | 数え 16 歳で鈴木南嶺に四条派の絵を学ぶ |
| 1830〜60 年代 | 漆絵の技法を確立。青銅塗・四分一塗などの変わり塗りを創始 |
| 1873 年 | ウィーン万国博覧会などで海外の評価を得る |
| 1888 年 | 明治宮殿の天井画制作に関わる |
| 1890 年 | 制度発足と同時に帝室技芸員に任命される |
| 1891 年 7 月 | 没。満 84 歳 |
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