幕末の文化

幕末の浮世絵とは?横浜絵・無残絵と歌川派をわかりやすく解説

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幕末の浮世絵とは?横浜絵・無残絵と歌川派をわかりやすく解説
相馬の古内裏(歌川国芳, c.1844) / 出典: Wikimedia Commons PD-old

幕末の浮世絵は、風景と美人だけの世界ではありません。開港の記録、事件の速報、政治の風刺、そして血みどろの残虐画——時代の混乱がそのまま画題になりました。

目次

幕末の浮世絵とは

浮世絵は江戸時代を通じて描かれた庶民向けの版画・絵画で、幕末はその最後の隆盛期にあたります。

項目内容
錦絵多色刷りの木版画。江戸中期に確立し、幕末の浮世絵の主流
担い手歌川派が圧倒的。歌川広重歌川国芳・三代豊国ら
幕末の新画題横浜絵、開化絵、事件を伝える絵、無残絵
制作絵師・彫師・摺師・版元の分業。版元が企画する商品
終わり写真と活版印刷の普及で、記録媒体としての役割を失う

「浮世絵」と「錦絵」は別物ではありません。 錦絵は多色刷りの木版画を指す言葉で、幕末の浮世絵はほぼ錦絵です。

重要なのは、浮世絵が芸術作品である前に、版元が売るために作る商品だったことです。売れる題材が描かれます。 だから幕末の浮世絵を見ると、当時の人々が何に興味を持っていたかが分かります。

横浜絵——開港を伝えた絵

安政 6 年(1859 年)の横浜開港を受けて生まれたのが、横浜絵です。

描かれたのは、外国人の姿、洋館、蒸気船、馬車、異国の風俗。五雲亭貞秀らが多くを手がけました。

当時の日本人にとって、これは報道写真に近いものでした。横浜まで行かなければ見られない光景を、江戸で買って見る。浮世絵が「情報」として機能していたわけです。

正確さはまちまちで、伝聞をもとにした想像図も混じります。それも含めて、当時の人々が外国をどう思い描いたかの記録になっています。

無残絵と、事件を売る浮世絵

幕末に特徴的なのが、無残絵(血みどろ絵)です。

月岡芳年や落合芳幾——ともに歌川国芳の門下——が手がけた、流血と暴力を正面から描いた作品群を指します。

なぜこれが売れたのか。 幕末は、暗殺と戦争が現実に起きていた時代です。桜田門外の変池田屋事件の噂が飛び交うなかで、人々は暴力の絵を求めました。

同時に、事件そのものを題材にした絵も出ます。ただし幕政の批判は禁じられていたため、多くは歴史や芝居に仮託した形をとりました。

天保の改革と風刺画

そもそも浮世絵は、幕府の統制下にある商品でした。

天保の改革(1841〜43 年)では、水野忠邦が風俗の取り締まりを進め、役者絵と美人画が禁じられます。

ここで歌川国芳がとった手が有名です。役者の顔を「似顔ではない」形にしたり、動物や落書き風の絵に置き換えたりして、禁令をかいくぐりました。 為政者を暗に揶揄したと受け取られた作品もあります。

規制が表現を変えたわけです。幕末の浮世絵に判じ絵(謎解きの絵)や見立て(別のものに置き換える表現)が多いのは、この経験と無関係ではありません。

浮世絵はなぜ終わったのか

明治に入ると、浮世絵は急速に力を失います。理由は単純です。

写真と活版印刷が来たからです。

  • 事件を伝える役割は新聞に移りました(過渡期には錦絵新聞という形も生まれます)
  • 人物の記録は写真が担うようになりました
  • 木版の分業体制は、機械印刷の速度と価格に勝てません

一方で、海外では逆に評価が上がりました。 歌川広重の風景画はゴッホが模写し、東洲斎写楽はドイツの研究で再発見されます。日本で役目を終えた表現が、外で美術として発見された——これが幕末から明治にかけての浮世絵の結末です。

幕末の浮世絵の年表

出来事
1841〜43 年水野忠邦の天保の改革。役者絵・美人画が規制され、風刺と見立てが増える
1853 年黒船来航。黒船を描いた絵が出回る
1858 年歌川広重が没する
1859 年横浜開港。横浜絵が量産される
1861 年歌川国芳が没する
1860 年代無残絵、事件を題材にした絵が流行する
明治以降新聞・写真・活版印刷に押され、浮世絵は衰退。海外で評価が高まる

よくある質問

浮世絵と錦絵の違いは何ですか。

錦絵は多色刷りの木版画を指す言葉で、幕末の浮世絵はほぼ錦絵です。対立する概念ではありません。

横浜絵とは何ですか。

1859 年の横浜開港後に描かれた、外国人・洋館・蒸気船などを題材にした浮世絵です。当時の人にとっては報道に近いものでした。

無残絵とは何ですか。

流血や暴力を正面から描いた幕末の作品群です。月岡芳年や落合芳幾が知られます。

幕末の浮世絵は幕府を批判できたのですか。

直接の批判は禁じられていました。そのため歴史や芝居に仮託したり、見立て・判じ絵の形で表現する手法が発達しました。

浮世絵はなぜ衰退したのですか。

新聞・写真・活版印刷が情報と記録の役割を引き受けたためです。同じ時期に海外での評価は高まりました。

代表的な絵師は歌川広重歌川国芳葛飾北斎東洲斎写楽の記事をご覧ください。

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