幕末の偉人

十返舎一九の読み方は?膝栗毛で日本初の職業作家になった生涯

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十返舎一九の読み方は?膝栗毛で日本初の職業作家になった生涯
十返舎一九 肖像 / 出典: Wikimedia Commons Public domain

読み方は「じっぺんしゃ いっく」です。『東海道中膝栗毛』の作者であり、日本で最初期の職業作家とされる人物です。

目次

十返舎一九とは何をした人か

一九の仕事は、ひとことで言えば笑いを売って生きたことです。

代表作の『東海道中膝栗毛』は、弥次郎兵衛と喜多八の二人が江戸から京・大坂へ旅をする道中記。行く先々で失敗し、騙され、恥をかく。筋らしい筋のない、笑いだけで進む物語です。

これが当たりました。続編が次々と刊行され、20 年以上にわたって書き継がれます。

そして重要なのは、一九が原稿料で暮らしたという点です。武家に仕えるでも、別の商売を持つでもなく、書くことだけで生計を立てた。日本の職業作家の最初期の例とされます。

「十返舎一九」という名の由来

風変わりな筆名です。

「十返舎」は、香道で用いられる十返の香にちなむとされます。一九自身が香を好んだことによる、と伝えられます。

「一九」は、幼名から取ったとされます。

明和 2 年(1765 年)ごろ、駿河国府中――現在の静岡市――の生まれ。武家の出で、父は町奉行に仕える役人でした。

大坂から江戸へ

若い一九は大坂へ出て、浄瑠璃の作者として仕事を始めます。舞台の脚本です。

その後、江戸へ移りました。ここで身を寄せたのが、版元の蔦屋重三郎です。写楽を世に出し、若い日の葛飾北斎の作も手がけた出版人で、一九は蔦屋の家に住み込み、雑用をこなしながら物を書きました。

出版という商売のただ中で修業したことが、彼の書き方を決めます。何が売れるかを、現場で覚えたのです。

『東海道中膝栗毛』

享和 2 年(1802 年)、『東海道中膝栗毛』の刊行が始まります。

当時、旅は庶民にとって現実的な娯楽になりつつありました。街道と宿場が整い、伊勢参りなどを名目に旅へ出る人が増えていた時期です。

一九はそこへ、旅のガイドと笑い話を兼ねた本を出しました。宿場の名物、道中の作法、旅先での失敗。実用と娯楽が同居しています。

読者は、本を読みながら旅を疑似体験した。 大当たりした理由はここにあります。

一九自身も取材のために街道を歩いたと伝えられます。

死をめぐる伝説

一九の死には、有名な逸話があります。

遺体に花火を仕込ませておき、火葬のときに派手に打ち上がった――というものです。生涯を笑いに費やした男の、最後の一発というわけです。

これは後世に広まった話で、事実として確認できるものではありません。

ただし、この種の伝説が生まれること自体が、一九という作家の受け取られ方を示しています。辞世の句とされるものも、自分の死を笑いにする内容です。

天保 2 年(1831 年)、江戸で死去。満 65 か 66 歳でした。生年に月日の記録がなく、正確な年齢は確定しません。

十返舎一九の年表

出来事
1765 年頃駿河国府中(現在の静岡市)に武家の子として生まれる
1780 年代大坂で浄瑠璃の作者として活動
1790 年代江戸へ移り、版元・蔦屋重三郎のもとに身を寄せる
1802 年東海道中膝栗毛』の刊行が始まる
1802〜22 年続編を書き継ぎ、旅の道中記として人気を保つ
1831 年江戸で死去

同時代の江戸の文化は江戸時代の食事、絵の世界は幕末の浮世絵で扱っています。

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