幕末の偉人

西郷従道とは?兄・隆盛と道を分けた弟の生涯を解説

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西郷従道とは?兄・隆盛と道を分けた弟の生涯を解説
西郷従道 肖像写真 / 出典: Wikimedia Commons Public domain

兄が政府に反旗を翻したとき、弟は政府に残りました。 西郷従道。西郷隆盛の実の弟です。

目次

西郷従道とは何をした人か

従道は、明治政府の中枢を長く担った軍人・政治家です。

陸軍・海軍の双方で要職を歴任し、海軍大臣を長く務めました。海軍大将として元帥(元帥府に列せられた)に上り、爵位も侯爵に達しています。

しかし従道の名を特別なものにしているのは、その経歴の華やかさよりも、兄・隆盛との関係です。日本最後の内戦・西南戦争で、兄が反乱軍を率いたとき、弟は政府側にとどまった――この一点が、彼の生涯を語るときに必ず引かれます。

天保 14 年(1843 年)、薩摩の加治屋町に生まれます。西郷隆盛の 15 歳下の弟でした。

兄と歩んだ幕末

従道は、兄とともに幕末を戦いました。

薩摩藩士として戊辰戦争に従軍し、戦功を重ねます。維新後の明治 2 年(1869 年)にヨーロッパへ渡って軍制を視察し、翌年帰国して新政府の軍の建設に関わりました。

兄・隆盛が維新の英雄として頂点にあった時期、従道もまたその薩摩閥のなかで順調に地位を上げていきます。兄弟は、同じ道を歩んでいるように見えました。

道が分かれる

明治 6 年(1873 年)、朝鮮への対応をめぐる政変が起こります。兄・隆盛は政府を去り、鹿児島へ帰りました

しかし、従道は政府に残りました。ここで兄弟の道が分かれます。

そして明治 10 年(1877 年)、西南戦争が起こります。鹿児島の士族が隆盛を担いで挙兵し、政府軍と戦ったのです。

このとき従道は、政府の側にいました。兄が率いる反乱軍を、政府が鎮圧する。その政府の一員として、弟は職務にあたったのです。

実の兄が朝敵として討たれる。その政府に、弟は仕えていた。 これは、当時の武士の価値観からすれば、想像を絶する立場でした。

なぜ従道は残ったのか

従道が兄に従わず政府に残った理由は、単純ではありません。

一つには、冷静な判断があったとみられます。士族の反乱に勝ち目はなく、時代は逆行できない。従道は、兄の選んだ道が滅びに向かうことを見抜いていたのかもしれません。

もう一つ、兄弟の間に密約があったとする見方もあります。西郷家の血を絶やさないため、どちらかが政府に残る――そうした暗黙の了解があったのではないか、という推測です。ただしこれを裏づける確かな史料はありません

確かなのは、従道が終生、兄を悪く言わなかったことです。兄が朝敵とされてもなお、従道は隆盛への敬愛を隠しませんでした。隆盛の名誉が回復されると、それを誰よりも喜んだと伝えられます。

明治を生きる

西南戦争の後、従道は政府のなかでさらに重きをなしていきます。

陸軍から海軍へ移り、海軍大臣として日本の海軍力の整備を担いました。内務大臣なども務め、明治政府の重鎮の一人となります。

兄が「西郷」の名を悲劇に結びつけたのに対し、弟は「西郷」の名を明治政府のなかで存続させたとも言えます。西郷家は、従道の系統によって明治以降も続きました。

明治 35 年(1902 年)、従道は死去します。満 59 歳でした。

「西郷どん」の弟

今日、「西郷」といえば隆盛を指すのが普通です。銅像になり、ドラマになり、悲劇の英雄として愛されているのは兄のほうです。

弟の従道は、その陰に隠れがちです。しかし冷静に時代を見て、生き延び、実務で国を支えたという点では、従道もまた明治を作った一人でした。

熱く散った兄と、冷静に生きた弟。 同じ家から出た二人の対照は、幕末から明治への転換そのものを映しているとも言えます。

西郷従道の年表

出来事
1843 年薩摩・加治屋町に生まれる。西郷隆盛の弟
1868〜69 年戊辰戦争に従軍
1869〜70 年ヨーロッパで軍制を視察
1873 年政変で兄が下野するが、従道は政府に残る
1877 年西南戦争。政府の側にとどまる
1880 年代〜海軍大臣などを歴任。元帥(海軍大将)・侯爵に上る
1902 年死去。満 59 歳

兄については西郷隆盛、西南戦争については桐野利秋で扱っています。

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