幕末の文化

寺子屋とは?何を学び、識字率はどれくらいだったのかを解説

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寺子屋とは?何を学び、識字率はどれくらいだったのかを解説
文学万代の宝(一寸子花里, c.1842) / 出典: Wikimedia Commons PD-Japan

寺子屋は、江戸時代の庶民の子どもが読み書きを習った場所です。学校でも塾でもない、この独特のしくみを整理します。

目次

寺子屋とは

寺子屋とは、江戸時代に町や村で開かれた、庶民の子ども向けの初等教育の場です。

項目内容
対象町人・農民の子(男女とも)
年齢おおむね 6〜13 歳
教える人浪人、僧侶、神職、医者、村役人、町人など
場所師匠の自宅、寺、町家の一室
内容読み・書き・そろばん
費用決まった額はなく、家の事情に応じて金銭や米・野菜などで納めた
幕末には全国に広く普及していた

「寺子屋」という名は、もともと寺で子どもを預かって教えたことに由来します。 ただし江戸後期には、寺とは無関係の師匠が自宅で開く形が主流になりました。

武士の子が通ったのは藩校です。寺子屋と藩校は、通う階層も内容も別でした。

寺子屋では何を学んだのか

中心は「読み・書き・そろばん」です。

とくに重視されたのが手習い——つまり習字でした。文字を書けるようになることと、文章の型を覚えることが同時に進みます。

教材には往来物(おうらいもの)と呼ばれる、手紙の文例集の形をした教科書が使われました。

  • 『庭訓往来』——年中行事や生活に必要な語彙を、手紙の往復の形で学ぶ定番の教材
  • 『商売往来』——商いの用語や帳簿の言葉を集めたもの
  • 『百姓往来』——農作業や年貢に関わる語彙を集めたもの

注目すべきは、教材が職業別に分かれていたことです。商家の子には商売往来、農村の子には百姓往来。「その子が将来使う言葉」を教えるという、きわめて実用的な設計でした。

そろばんも同様に、取引や年貢の実務で使える形で教えられました。

寺子屋の授業はどう行われたのか

現代の学校とは、進め方がまったく違います。

一斉授業ではありませんでした。 子どもたちは同じ部屋にいますが、一人ひとり違う手本を前に、それぞれの進度で書いているのが普通です。師匠は順に見て回り、朱を入れます。

年齢もばらばらで、上の子が下の子の面倒を見ることもありました。個別指導と異年齢集団——これが寺子屋の基本形です。

入学の時期も決まっておらず、農繁期には子どもが来ないなど、地域の暮らしに合わせて動いていました。

江戸時代の識字率は本当に世界一だったのか

「江戸の識字率は世界一だった」という話は、慎重に扱う必要があります。

確かなことは、次の点です。

  • 幕末に来日した外国人が、庶民が文字を読み書きすることに驚いた記録を残している
  • 商家の帳簿、村の議事録、旅日記など、庶民が書いた文書が大量に現存する
  • 貸本屋が成立し、滝沢馬琴十返舎一九の読み物が商業的に売れていた

一方で、具体的な数字については推計に大きな幅があります。 「読み書き」の定義(自分の名前が書ける/手紙が書ける/本が読める)で結果は大きく変わり、都市と農村、男女でも差がありました。

「同時代の他国と比べて識字が広く普及していた」とは言えます。「世界一だった」と断定できる統計はありません。

寺子屋は明治の学校にどうつながったのか

明治 5 年(1872 年)、新政府は学制を公布し、全国に小学校を置く方針を打ち出しました。

このとき起きたのは、ゼロからの建設ではありません。

  • 寺子屋の師匠が、そのまま小学校の教員になった例が各地にあります
  • 寺子屋や寺の建物が、そのまま校舎に転用された例も多くありました

つまり明治の学校制度は、すでに全国に散らばっていた寺子屋という土台の上に載ったわけです。日本の就学率が比較的短期間で上がった理由の一つが、ここにあります。

一方で失われたものもあります。個別指導から一斉授業へ、地域ごとの教材から全国統一の教科書へ。 寺子屋の柔軟さは、近代教育の均質さと引き換えになりました。

寺子屋の年表

出来事
17 世紀都市部で寺や僧が子どもに読み書きを教える形が広がる
18 世紀町人の経済力向上とともに寺子屋が各地へ普及。往来物が量産される
19 世紀前半農村部にも広がり、女子の通学も一般化する
1853 年黒船来航。以後、洋学を教える塾も現れる
1872 年学制公布。寺子屋の師匠と建物が小学校へ引き継がれていく

よくある質問

寺子屋とは何ですか。

江戸時代に町や村で開かれた、庶民の子ども向けの読み書きそろばんの教育施設です。

寺子屋では何を教えたのですか。

読み・書き・そろばんです。とくに手習い(習字)が中心で、教材には職業別の往来物が使われました。

寺子屋の月謝はいくらでしたか。

決まった額はありません。家の事情に応じて、金銭のほか米や野菜などの現物で納めることもありました。

寺子屋の先生は誰でしたか。

浪人、僧侶、神職、医者、村役人、町人など、地域で読み書きのできる人が務めました。

武士の子も寺子屋に通ったのですか。

基本的には藩校に通いました。寺子屋は庶民の子のための場です。

寺子屋はいつなくなったのですか。

明治 5 年(1872 年)の学制で小学校制度が始まり、寺子屋はそこへ吸収されていきました。

同じ時代の学びの場としては剣術道場、洋学については蘭学と適塾の記事をご覧ください。

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