大久保利通 — 冷徹な実務家として明治国家を築いた維新の柱

情に厚い西郷隆盛としばしば対比されるのが、冷静沈着な実務家・大久保利通である。同じ薩摩に生まれ、ともに維新を成し遂げた二人は、やがて国家の進路をめぐって袂を分かつことになる。
目次
薩摩の盟友として
大久保利通は天保元年(一八三〇年)、薩摩藩士の家に生まれた。幼なじみの西郷とともに藩政の中枢に関わり、討幕への流れを主導していく。
行動派の西郷に対し、大久保は緻密な計算と粘り強い交渉を得意とした。情と理、二人の異なる資質が組み合わさったことが、薩摩の力を最大限に引き出したといえる。
維新政府の中心へ
薩長同盟を経て倒幕が実現すると、大久保は新政府の中枢を担った。彼が主導した最大の改革のひとつが、廃藩置県である。
藩を廃して全国を中央政府が直接治める体制へと切り替えるこの改革は、武士の世の根幹を覆す大事業だった。大久保は反発を抑えながら、冷徹なまでの実行力でこれを断行していく。
殖産興業を進める
その後、内務卿として実権を握った大久保は、近代産業の育成(殖産興業)に力を注いだ。官営工場の建設や交通網の整備など、富国強兵を支える基盤づくりを次々と進めていく。
理想を語るより、現実の制度を組み上げていく——大久保のそうした手腕が、明治国家の骨格を形づくった。
紀尾井坂に倒れる
近代化を急ぐ大久保の手法は、特権を失っていく士族たちの強い反発を招いた。盟友・西郷が西南戦争に敗れた翌一八七八年、大久保は東京・紀尾井坂で不平士族に襲撃され、命を落とす。
維新を共に夢見た二人が、相次いで非業の最期を遂げたことは、新時代の産みの苦しみの大きさを物語っている。
維新を担った人々の群像は、幕末の偉人の各記事でどうぞ。
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